大森さんは市内で鮮魚店や生協での仕事を経験。その後、仕事を辞めると、1970年頃に現在の鳥取大学医学部の近くに「第一旭」を開業しました。

実はその際、創業者である父が内緒でラーメン修業をしてくれたそうです。父親は米子に大森さんを訪ねて来ることもあったそうです。

米子で第一旭を経営していた大森高男さん
「ラーメン作りは極秘で親父から教わりました。(家出について)親父なりに『すまんかった』ということがあったのかもしれませんが、小遣いを置いて帰るというのがありました。あの頃に20万~30万とかあったと思います。当時は高卒で月給7000円~8000円でしたから」

紆余曲折もありながら、初代当主である父親の背中を見て作り上げてきた米子の「第一旭」。今でも大森さんの心の中には父親の姿が鮮明に残っています。

大森高男さん
「やっぱり親父は、労をするのに『嫌だ』とか『そんなことしたって…』とか言わずに、とにかく前向きにやっていました。血液型B型ですから、ブルドーザーみたいに前にぐるぐるぐるぐる進んでいく。その辺りを親父から習ったので、私は後ろに引くことや弱気になることは一切ありませんでした」

米子の第一旭は人気店となり、多い時には店内がすし詰め状態になることもありました。1日に100人以上の来店もあったという人気店でしたが、一体なぜ店を閉めてしまったのでしょうか?