小林健和キャスター
「街の人たちから情報を聞くと、この鳥取大学医学部周辺に『第一旭』があったということなんです。周辺を見渡してみてもそのような看板は今のところ見当たりません」
2002年頃まで、米子市に「第一旭」というラーメン店が存在していました。

米子の「第一旭」を営んでいたのは大森高男さん、88歳。大森さんは実は、本家第一旭本店、初代当主の長男です。
米子で第一旭を経営していた大森高男さん
「子どもの頃は、いつも弟2人と自分たちの着る服は自分たちで洗濯をしていました。洗濯の際には隣に住んでいるおばあちゃんから『汚れもの持って来い。うちで洗濯してちゃんとしてやるから』と言われ、そんな助けも借りながら生活していました」
しかし大森さんは10代の頃に家出を決意します。あてもなく汽車に乗り、偶然たどり着いたのが、縁もゆかりもない米子でした。
大森高男さん
「とにかく汽車に乗って降りたのが米子でした。そこで生活の場所を作ることにしました」
身寄りもない米子の地でしたが、ここで人の温もりに触れ、米子に住む決意をしたと言います。養子に入り、名字も変わりました。