帰れない自宅 初めて見る原発事故の被害
渡部寛志さん「スクリーニングって何なのかということからまず伝えられるようになったらいいのかもしれない」
午後、渡部さんは、若者たちとともに、双葉町へと向かいました。まず到着したのは、スクリーニング場。一行はこれから、帰還困難区域に入るのです。
澤上幸子さん「12年経ってもこれですからね。自分の家ぐらいすーっと帰れるようになるといいですけどね」
双葉から愛媛に避難した澤上幸子さん。渡部さんとともに、今回のツアーを企画した一人で、生徒たちに自宅を案内します。
到着した後、生徒たちは防護服を身に着けました。これまでとは違う街の雰囲気に、表情もどこか固くなります。
澤上幸子さん「悩ましいところなんですけどね。こういう線量の高いところに子どもたちを連れてくるのは、どうなんだというところなんですけど、子どもたちにも保護者にも説明して承諾の上なんですけど」

澤上幸子さん「お客さんが入ったときに通す部屋です。月に1回くらい親が来ているけどその間に動物たちが入って荒らしてというのを繰り返している感じです」
初めて目にする原発事故の被害。生徒たちの言葉は少なく、それぞれが静かに目に焼き付けていました。
その日まであった暮らしと、12年という時間の経過が、それぞれの部屋の中にありました。

澤上幸子さん「まあ15分、20分の滞在で得るものの方が大きいと思って、ずっと津波の被災地を見てきたから、津波と原子力災害を伝えていきたいなと思っているので」
ツアーを終えた生徒たちは…。
松山学院高校・笹園翼さん「自分のいままで住んでいた家が、なかなか帰れるわけでもなくて、その間に荒らされたりしてっていうので、自分の家がそんな悲惨なになるという状況が信じられなくて、少し悲しいですね」
松山学院高校・松本清廉さん「震災から十何年も経っているのに、おうちに帰れていないというので、自分が当たり前のように家に帰って家族と話してごはんを食べてという状況にあらためて感謝するきっかけになった」

3.11を忘れないという、大人たちの思いと、自分の目で見た若者たちの経験。福島から遠く離れた愛媛で、記憶や教訓を引き継ぐためのあかりが灯り始めています。