北海道胆振東部地震から9月6日で5年。

 1キロにわたる土砂崩れがあった厚真町吉野地区は、町内で最も多い19人が犠牲となった場所でもあります。
 今年になって、希望する11世帯の家の跡地に、苗字が刻まれたステンレス製の銘板が設置されました。
 犠牲者を悼み、ここに暮らしがあったと、後世に伝えるために置かれています。
 こうして多くの人の命を奪った「土砂災害」は、なぜ起きたのか、そして今後防ぐ手立てはあるのでしょうか。

高瀬雅嗣カメラマン(2018年当時 ヘリリポート)
「こちらの山肌はかなり大きく崩れ落ちています」


 震度7の揺れで、暮らしを支えてきた山々が一瞬にして崩れ、町を飲み込みました。

厚真町幌内地区の住人 野地妙子さん(72)
「砂防ダム、みんな生活水を沢から取っているから、その沢が崩れて、結局砂防ダムを作らなくてはならなくなった」


 厚真町の幌内地区に住む野地妙子さんです。
 2018年の1月に、夫をくも膜下出血で亡くし、ひとり暮らしを始めて8か月後、胆振東部地震で被災しました。

 自宅は被害を免れましたが、斜め向かいの家は土砂に飲まれ、自宅の周辺は土砂であふれました。

厚真町幌内地区の住人 野地妙子さん(72)
「(隣の家は)危険家屋だからもう住めません。42世帯が半分になった、ここ、幌内は。川向かいも全部合わせて、お年寄りの1人住まいの方が多かったから」

 道内初の震度7の揺れに襲われた厚真町では、37人が犠牲になりました。
 多くの人の命を奪ったのは「山津波」とも呼ばれる「大規模な土砂崩れ」です。