「こっちに来ないか」という避難を呼びかける電話。その呼びかけに応じていたら、自分も死んでいたかもしれないー。鹿児島県南さつま市金峰町の扇山地区で20人が亡くなった土砂災害。あの日、何が起きたのか?取材しました。

鹿児島市に住む賀籠六トシエさん(88)と、長男・和文さん(65)です。かつて南さつま市・扇山地区で暮らしていました。
(和文さん)「毎週、扇山に行ける時は行っている。家庭菜園をやっている」
(トシエさん)「この先が扇山。やっぱり懐かしい、いろんなことがあったから」
山あいにある扇山地区。30年前は50人以上が暮らしていましたが、今は8人に。田畑や民家があった場所はほとんどが草木に覆われ、姿を変えた中、あの日の爪あとは今も残っています。

(和文さん)「災害前にあった杉の木がないですもんね。少し雑木が生えてきたが」
■1993年9月3日 台風13号上陸
鹿児島市を中心に甚大な被害を出した8・6豪雨災害から1か月後の1993年9月3日。集落の裏山が崩れ土砂が民家を直撃。避難してきていた住民20人が亡くなりました。
この日は、戦後最大級といわれた台風13号が薩摩半島に上陸。これまでの長雨に加えて、扇山周辺では1時間に114ミリの猛烈な雨を観測しました。

夫を病気で亡くして、息子の和文さんも独立し、当時は1人暮らしだった賀籠六さん。あの日、自宅から最も近い知人の家へ避難しました。
(トシエさん)「1人暮らしだったから寂しかった。自分の命なので、ここを通らないと」
しかし…。
(トシエさん)「山から水がいっぱい流れてきた。避難した家も危なくなり、下の民家に逃げた」
危険を感じ、さらに別の民家へ避難。すると、近くの住民から電話がかかってきました。

(トシエさん)「『こっちに避難しないか』と言ってきたが、私は行かなかった。雨がひどかったから、行けないと思った」