■一命をとりとめた與四郎は当時の樺太へ

與四郎の母・うめは死亡。父・三太郎は重傷を負いました。

與四郎の傷も深く、地元の医師は助からないと判断。「死亡した」と記録されています。

しかし実は札幌の病院に運ばれ、奇跡的に一命を取り留めていたのです。当時の樺太に渡り、洋服店を営んでいました。子どもは6人。終戦直前に北海道に引き揚げます。

村田孝さん(84)さん
「(父の)傷はしょっちゅう見ているが、じゅくじゅく。背中の一番高いところが膿んで治って、また化膿して直っては化膿して何十年も過ごした」


1986年、80歳まで、その生涯を全うしました。