長野県中野市などから中国の旧・満州に渡り、78年前、集団自決に追い込まれた開拓団の慰霊法要が、25日、4年ぶりに営まれました。

中野市の東山公園で4年ぶりに営まれた慰霊法要には関係者や、授業で開拓団について学んだ中野西高校の生徒などおよそ50人が集まり、慰霊塔の前で手を合わせ犠牲者の冥福を祈りました。


中野市や飯山市などから満州に渡った高社郷(こうしゃごう)開拓団は、終戦から10日後の1945年の8月25日、ソ連軍の侵攻で逃げきれないと判断し、500人以上が集団自決。

法要は毎年この日に合わせて営まれてきました。

家族と満州に渡り、5歳の弟と3歳の妹を亡くした滝澤博義(たきざわ・ひろよし)さん89歳。

「開拓団員の子どもで生存しているのは、知る限り3人になった」として、講演などを通じて一人でも多くの人に知ってもらうことが責務だと語りました。


滝澤博義さん:
「二度とあってはなりません。人間の命というものをみんなが大事にしなきゃいけないですしね」

中野西高校2年の黒瀬漣(くろせ・れん)さんは「これ以上戦争で辛い思いをする人が出ないためにも、私たち若者が動かなければならない」と、平和への思いを新たにしていました。