お笑いコンビ「アルコ&ピース」の平子祐希さん(44)。
いまやテレビ出演本数で上位に入る“売れっ子”だが、仕事への意識が変わるきっかけになったのは故郷・福島県に甚大な被害をもたらした東日本大震災だった。「赤ちゃんの時から覚えていた海岸の地形が全くない」―故郷の姿を大きく変えてしまったあの日、平子さんは何を思ったのか。

(「関東大震災から100年 あす巨大地震が来たら」より)

津波で亡くした“おばちゃん” 馴染みの海岸は「知らない形に」

2011年3月11日。下積みが続く平子さんは、東京・新宿の高層ビルで、荷物を仕分けるアルバイトをしていた。その勤務中に、東日本大震災は起きた。大きな揺れが収まり、物が散乱した建物から外へ出ると、長男を身ごもった妻に真っ先に電話をかけた。電話はつながらず、不安が募ったが、何度もかけ続け、何とか連絡がついた。

その後、目に飛び込んできたのは、東北沿岸が巨大津波に襲われるテレビの映像。福島県いわき市にある実家は、海から車で10分ほどの距離にあった。

「家族はもちろんですけど、親戚、友人、知人、本当にたくさんの人が海沿いで生活する地域。まずはそういう人たちの顔が、頭に浮かびました。だけど僕がいる東京も、帰り道すら確保できない。どこから手をつけていいかわからないというか、とにかく心配でした」

数日かかって両親やきょうだい、親戚の無事は確認できた。しかし港近くの店で働いていた“おばちゃん”が、津波に流されて亡くなった。地元に帰るたびに声をかけてくれる、明るい人だったという。「今も店の近くを通ると、自然とおばちゃんを探してしまいますね」

この地震で故郷の景色は一変した。古い建物の多くが崩壊。津波で漁船が乗り上げ、子どもの頃から通った駄菓子屋は跡形もなく流された。慣れ親しんだ海岸が、津波の威力を物語っていた。「赤ちゃんの時から覚えていた海岸の地形が全くない。砂浜が短くなって、海がすぐ迫ってくる。自分の知らない形に変わってしまったことが、一番衝撃的でした」