世界陸上ブダペスト大会3日目に、日本陸上界にまたも新たな歴史が生まれた。男子110mハードルの泉谷駿介(23、住友電工)が、準決勝2組を1位(13秒16・-0.2)で通過。この種目日本人初の決勝に進出した。1時間35分後の決勝は5位(13秒19・±0)に入賞。スプリントハードルと呼ばれる男子110 mハードルと女子100mハードルでは、世界陸上では初の入賞だった。五輪を含めると女子100mハードルの前身、80mハードルで東京五輪の依田育子の5位が最高順位。今回の泉谷はそれに並ぶ過去最高順位タイだった。
今回の偉業は泉谷のどんな特徴があるから可能になったのだろうか。山崎一彦コーチの説明も交えて紹介したい。
脚が攣り焦っても対応できた泉谷
日本人初の110 mハードル決勝進出。少し以前の日本では想像できない快挙だった。
「もう楽しい気持ちでいっぱいで。緊張感は特になくて、いつも通りの感じでできたので、メンタルは強くなったかなって思いますね」
21年の東京五輪、22年の世界陸上オレゴンと、自己記録では十分に決勝に進める13秒06を持ちながら、準決勝を突破できなかった。泉谷は「メンタルが大きかった。110mハードルは気持ちが大きく影響する種目」と話したことがあった。歩幅が少し違うだけで踏み切り位置が狂う。ハードルに近くなれば上に跳ぶハードリングになり、タイムのロスが生じる。そこで焦ってしまっては、狂った踏み切り位置を修正できない。
だが、今回の泉谷のメンタルは明らかに違った。実は「スターティングブロックを蹴った瞬間、両脚が攣(つ)ってしまった」という。それでも13秒19(±0)で5位を確保した。攣り方にも程度があり、走れる範囲だったのだろう。だが先ほど触れたように、この種目は焦ったら一気に崩れてしまう種目である。
本人は「焦りまくった」と言うが、本能的に対処できていた部分もあった。
「腸腰筋あたりを使うような体の動かし方をして、ふくらはぎや足首固めて、地面に(軽く)タッチするみたいな感じで走りました」
こういった対処ができるのも、東京五輪や世界陸上オレゴン、今年のダイヤモンドリーグなど、国際大会の経験を多く積んできたからだろう。本人は「本番は(決勝)1本が一番大事なので」と納得していないが、泉谷の成長が現れた部分であるのは間違いない。
準決勝で発揮された泉谷の武器
決勝はアクシデントがあったので競技的、技術的な評価がしにくいが、1組1位(13秒16・-0.2)だった準決勝は泉谷の特徴が現れた。

「準決勝、ちょっとハードリングが浮いてしまって、結構ふわっというハードリングになってしまったんです。しかしインターバルでしっかり稼ぐことはできたので、準決勝はまあまあかなと思いました。(D.ロバーツ=25・アメリカ、に)最初出られるのはわかっていましたが、そこは落ち着いて対処しました」
対処できたのはメンタル的な部分の成長かもしれないが、ハードリングが浮いてもインターバルの走りで修正できたのは、泉谷の特徴が生かされたからだ。
山崎コーチは「今の泉谷の最大の武器はインターバル」だという。普通の選手なら踏み切りがハードルに近くなると、着地はハードルから遠くなり、次の踏み切りもまた近くなってしまう。それを泉谷はインターバルを素早く刻むことで、踏み切り位置を本来の遠さに戻すことができる。
「(インターバルの走りで)加速をしないといけないが、緩めないといけないこともある。前半速いからどんどん行っちゃえとか、後半ハードルを当てないようにうまく行け、という問題ではなくて、本当に微妙なところでペース配分をします。ちょっとずつアクセルを踏みながら、緩めながら、というアクセルワークが上手になっている。そこは外国選手より上手い。泉谷はその領域まできましたね」
そして準決勝では10台目をロバーツと同時に降りたが、フィニッシュラインまでで0.03秒のリードを奪った。ダイヤモンドリーグでも10台目からフィニッシュまでが速かった。それができるのも「アクセルワークができるので、最後まで自分の動きをコントロールできるんです」と山崎コーチ。
ハードリングが納得できない内容でも、準決勝を1位で通過できる。紛れもなく世界トップレベルの実力、対応力を泉谷は身につけている。
メダルは「近いようで遠い」
準決勝で競り勝ったロバーツが、決勝では13秒09で銅メダルを獲得した。5位の泉谷との差は0.10秒。ロバーツが準決勝で手を抜いたわけではない。真剣勝負の結果が、準決勝と決勝で違ってくる。
「(メダルまでの距離は)近いようで遠い。トップ選手は本番に強いと改めて感じました」
6月のローザンヌ大会で優勝し、7月のロンドン大会ではG.ホロウェイ(25、アメリカ)に次いで2位。ダイヤモンドリーグで世界陸上2連勝のホロウェイなど、決勝で戦うメンバーと競り合いを経験した。
「しかし世界陸上の決勝は雰囲気が違います。みんなピリピリしていて、気合いも入っていましたから」
しかしメダルへの手応えも感じられたのは事実だ。
「準決勝が良かったので、修正して、決勝で13秒0台出したらメダルもあるかな、と思いました。そのためには予選から決勝まで3本、ホロウェイ選手みたいにしっかり走れるように、アベレージを上げていく必要がある。まずはしっかり3本走れる体作りをして、来年に臨みたいと思ってます」
メダルは意識しないで本番に臨む。今大会前に泉谷はそう話していた。だが、メダルを狙っていないわけではない。レース後、優勝したホロウェイたちが盛り上がっているシーンを見て「自分も来年、そこに立ちたいなと思っていました」と正直な気持ちを話した。
それをイメージできるところまで泉谷のレベルは上がっている。スプリントハードル初のメダル獲得に、それほど時間はかからないかもしれない。
(TEXT by 寺田辰朗 /フリーライター)