鹿児島県鹿屋市のハンセン病療養所「星塚敬愛園」で、元患者らの体験を地域の小中学校の教員が学ぶ会が4年ぶりに開かれました。
(上野正子さん)「みなさま、こんにちは。おいでくださいまして、ありがとうございます」
ハンセン病の元患者・上野正子さん(96)です。4年ぶりに開かれた学習会で、肝属地区の小中学校の教員らおよそ40人に自らの体験を語りました。
(上野正子さん)「大人になったら、学校の先生になりたいと思って一生懸命勉強した」
沖縄県・石垣島出身で、子どものころは「学校の先生」が夢でしたが、13歳で強制隔離。園に着いた日の出来事は、忘れることができないといいます。
(上野正子さん)「『危ない』『コップに触わらないでください』と事務員が言ったので、コップの水をお父さんがこぼして、汚れた手で(受け止めて)飲み干した。それが最初に受けた差別だった」
ハンセン病は、らい菌の感染で皮膚や末梢神経が侵される病気です。感染力が弱く、戦後すぐに特効薬が導入されたにもかからわず、国は1996年に「らい予防法」を廃止するまで強制隔離政策を続けました。
上野さんは園内で結婚した夫・清さんと原告に名を連ねた国家賠償請求訴訟で2001年に勝訴。その後も自らの体験を語る活動を続けていて、その姿はまるで、かつて目指した「先生」のようです。
(上野正子さん)「学校が大好きなので、学校で話をするのが役目と思っている。このように元気で過ごしていることを神様に感謝しながら生活しています」
この日は、九州地方に住む父親が元患者の女性も匿名で講演しました。
(匿名女性)「私はみなさんと同じように生を受けた。でもたった一つだけ違ったことがある。私には人権がなかったということ」
女性は元患者の家族が国に賠償を求め、4年前に勝訴した原告の1人で、小中学校時代は子どもたちだけでなく、先生からも差別を受けた経験を語りました。
(匿名女性)「先生誰一人の顔も覚えていない。名前も覚えていない。なぜなら話したことがないから。同じクラスの生徒と話すことがなかった。今でいうならいじめ。そこに手を差し伸べる先生は誰一人いなかった」
「私たちは自分で考える力が備わっている。国が言ったからそのまま誰からに伝えるのではなく、もう一度自分で調べ、考え、国が行っていることが間違いなら、おかしいと言えるような人たちを(教育で)作り出してほしい」
(小学校教諭)「紙とか映像では感じることができなかったことがたくさん感じられた。子どもたちにも体験してほしい」
(小学校教諭)「ハンセン病自体をよく知らないと、差別が生まれる。子どもたちにも正しく伝えるのが(自分たちの)使命だと思った」
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