「怖かった」空襲の記憶…絵に描かれる“拠り所”

「“死装束”みたいなもので、『新調した服を着て逃げるんだ』と学生服を着直してかばん背負って、最初から水道タンクを目当てに逃げようと…」

新潟県長岡市で父の代から80年近く続く洋品店を営む伊丹功さん(83)です。家族は無事でしたが、空襲で店も自宅も焼き払われました。

【伊丹功さん】
「こうやって生活していると遠くが見えませんよね、前には家が並んでいるし、脇は脇で家が建っていて。それなのに、ここから長生橋の坂を上り下りする人たちが見えたくらい焼け野原でね…」

戦後に再建した店には、伊丹さんが描いた絵が数多く飾られています。絵を描き始めたきっかけは、2006年に長岡市制100周年を記念して開かれた空襲体験画の公募展でした。

「(空襲体験を)誰か聞いてくれるチャンスがないというか説明するチャンスがなかったというか、なかったんだけど、『よくぞ市でとりあげてくれたな』ということから始まった」

戦後、復興を目指した長岡で誰かと空襲体験を語り合うことはありませんでした。「心のどこかで語る機会を望んでいた」という伊丹さんは画材を買いそろえ、10枚の絵を出展しました。その絵は今、戦災資料館に保管されています。

「空襲が終わって『もうこれで』というときに、小屋にボッと火がついて。火がついたらワーッと…土手のつもりなんだけど、火がダーッと来ましたね。『怖かった』っていうだけは、今でも思いますね」

「怖かった」。絵の前に立った伊丹さんは、ぽつりとつぶやきました。
10点の絵の中で多く登場するモチーフが「水道タンク」です。

【伊丹功さん(83)】
「水道タンクを中心に、自分たちは拠り所として逃げた。水道タンクは忘れられない建物だっていうことですよね」