◆「33」をかたどった母校に建つ慰霊碑

杉村さんが、「戦争の愚かさが分かる」という場所を案内してくれました。杉村さんの母校、山口市にある中村女子高校(当時は中村高等女学校)にある慰霊碑です。
杉村純子さん
「この碑の形はね、33という数字を表しているんですよ。33人亡くなったからね」

杉村さんが通っていた中村高等女学校の生徒は、当時、北九州市の小倉陸軍造兵廠だけでなく、各地の兵器工場に動員されていました。終戦前日の8月14日、山口県内の工場が狙われ、働いていた女学生33人も犠牲になったのです。数字の3が抱き合うような形をした慰霊碑には、亡くなった女学生の名前が刻まれています。その中には杉村さんの同級生も含まれていました。

風船爆弾を製造した杉村純子さん
「同級生のお父さんやお母さんが生きていた時は私たちもつらかった。子供は帰ってこないからね。あれを思うといまだに涙が出るよ。後に自分が子供を育ててみて改めてそう思いました。これまで大きく育てたのに死んじゃったんだからね」
◆「戦争だけはやるもんじゃない」

「国のため」と、兵器の製造に動員され、命を奪われた女学生たち。自らも過酷な体験をし多くの悲しみを目の当たりにした杉村さんは、悲劇を二度と繰り返してはならないと、強く願っています。
風船爆弾を製造した杉村純子さん(94)
「伝えていきたいのは、あの苦しみは誰も二度とあわせたくないということ。戦争だけはやるもんじゃない、と思ってね」
ロシアによるウクライナ侵攻など世界では今も戦火が絶えません。記者がそのことを尋ねると、杉村さんは、少し考えたあと、唇をかみしめて悔しそうにつぶやきました。
「またいつかはあるかもしれんしね戦争は。どうしても国のとりあいっこするんじゃから」
 
   
  













