元特攻兵の佐野さんは、「入隊時の寄せ書き」を見せてくれた。

(大石アンカーマン)
「武運長久と。これをもらった時はどんな心境だったんですか」

(元特攻兵 佐野博厚さん)
「この皆さんのために、お国のために」

敗戦の前の年、1944年9月。戦況が悪化する中、佐野さんは、16歳で当時の陸軍に入隊しました。

(元特攻兵 佐野博厚さん)
「4月ごろに、部隊の転属命令が来た。紙一枚で」

配属されたのは陸軍海上挺進戦隊、特攻艇“マルレ”の部隊でした。

(大石アンカーマン)
「ご自身が特攻隊に選ばれてしまった、そのときどんなお気持ちだったんですか」

(元特攻兵 佐野博厚さん)
「いよいよ身をささげる時期がきたなと。日本は必ずや勝つから。神州日本は必ず勝つから我々に続けと」
「遺書にもそのように、弟たち 我々に続けと。妹たちには強い男の子を産めとか、そういうことを書いた覚えがあります」

疑問は微塵もなく、誇らしさすら感じたといいます。訓練地は広島県の江田島。そこで敵艦に体当たりする訓練を繰り返す日々を送っていました。

(元特攻兵 佐野博厚さん)
「敵艦に体当たりする、45度で行って体当たりして帰る訓練」

(大石アンカーマン)
「訓練しているときに、自分は死ぬんだと むなしくならなかった?」

(元特攻兵 佐野博厚さん)
「むなしくない。そんなことは全然ない」「今の人にはちょっと理解ができないと思う」

「お国のために死ぬ」その役割に喜びすら感じていたという佐野さん。

(大石アンカーマン)
「選ばれることは、特攻になることは、当時は栄誉だったんですか」

(元特攻兵 佐野博厚さん)
「自分の栄誉だと思った。名誉だと思った」「過去にそういう教育を受けている。教育の怖さはつくづく戦後 身に沁みました」