実は林君は、高校1年から本格的にピッチャーを始め、その際に、アドバイスをくれたのが宮崎君でした。

林謙吾選手:
何も知らない自分に本当に一からなんですけど色んなことを教えてくれて、きつい練習だったり色んな悩んだことを分かち合ってやってきた。

すると、2年の秋から林君が急成長。秋の関東大会でも力投を見せ、センバツ出場に大きく貢献。
それに対して、宮崎君の登板回数は徐々に減っていき、
気が付けばエースナンバーは宮崎君の背中にはありませんでした。

宮崎選手:
林がすごく(ピッチングが)できてきて、自分が何もできないもどかしさというか、どうしたらいいか分からない感情が出てきて。

県勢初優勝を果たしたセンバツでも林君が6試合をほぼ一人で投げる圧巻のピッチング。宮崎君はベンチには入ったものの、マウンドに上がることはありませんでした。

宮崎選手:
試合見ながらも(甲子園で投げられなくて)悔しい感情がありました。

それでも、最後の夏に向けて課題の制球力などを改善。
また、ライバルの林君にもピッチングを相談しました。

林選手:
キャッチボールしながら、お互い(ピッチング)どんな感じかや、こうしたらいいんじゃない?とか会話は結構していた。
宮崎選手:
最後、3年の夏の甲子園(メンバーに)入って、林を少しでも助けられるようにと思って(練習で)投げてきた。

それだけ最後の夏に賭けていました。

そして夏の県大会約2週間前 メンバー発表の日。

山梨学院高校 野球部 吉田洸二 監督:20番二村!以上です。

宮崎君の名前は呼ばれませんでした。

吉田監督:
宮崎、ちょっと残念だったな。2年の春も甲子園出て、3年の春も甲子園出て…

もう1度、甲子園に行ってマウンドで投げる…その夢は叶いませんでした。