連絡なしで解体 失われた機会

それから2か月後の去年12月。かつて多くの住民が集った今野家は、すでにありませんでした。あの日以降、今野さんたちが知らない間に解体が進められ「目に焼きつけて、先祖に報告する」機会は、永遠に失われました。

三女・今野生子さん「今野邦彦は母屋の解体はちゃんとお別れをしたいと。自分の代でこの家を閉じるところをご先祖様にどういう報告をするかも含めて心の区切りをしたいという希望だったので、(10月)29日に中止になって、あとは連絡を待っていたのにもかかわらず、連絡なしで…」

長女・原田かつ子さん「きょうかきょうかと思ってね…毎日、許可証も取って、待っていたのにね……」

なぜ、所有者に連絡もせず、解体を進めたのか。

環境省は、「一般的に解体の前と後に立ち会いをお願いしており、実際に建物を解体する日は通知していない」と、コメントしています。

その一方で、内部文書から、新たなこともわかりました。

「当日10:30~13:00までは休工」

解体予定日前日の10月28日に、環境省と業者の間でやりとりされたメールです。突然決まったように思われた工事の中止は、実は前日には決められていたとも読める内容です。

その翌日29日に、工事は中止となりました。入手した現場写真の最も古い日付は10月31日。少なくとも2日後には工事は再開していたことになります。