その後もコーラとジュースだけだった市場に様々な新製品が投入され、シェアも縮小。赤字と黒字を繰返します。
経営がようやく安定したのは、いち早く取組んでいたシークヮーサー製品が売れ出した6年前(2001年)から。
沖縄バヤリース 安里祥徳会長(当時)
「私たちの正社員、販売 代理店は全員株主。会社が苦しいときは苦しいなりに『賞与が出せないときは賞与なしでいいですよ』と。全員が痛みを分け合ってガマンをしたとそれが大きいと思います。」
今年66歳となる販売代理店の福地さん。福地さんも35年前に出資したメンバーの一人。配当は、35年で4回だけですが、バヤリースへの愛着は人一倍です。
開南地区代理店 福地永誥さん
「オレンジに関しては世界でも優れたカリフォルニアから来るんだから、世界一の飲みものではないか。オレンジに関しては私はそう思っています。」


【記者MEMO】
このリポートを制作した2007年。沖縄では外資系企業による沖縄のホテルやゴルフ場の買収が相次いでいました。そうした中で圧倒的に米経済が優位な1972年の復帰当時、逆に沖縄が、しかも働いていた社員たちが外資から自らの会社を買収したとはにわかに信じがたい話でした。
その後も、決して平坦な道ではなく「沖縄バヤリース」はこの放送から7年後、2014年をもって解散。その後はアサヒオリオンカルピス飲料が飲料事業を継承、沖縄バヤリースブランドの商品販売を続けています。
”外資”が全国的に珍しくもなくなり、MBO(経営陣による企業買収)などが行われる令和の今も示唆に富む実話ではないでしょうか。
