命を脅かされる病気で不自由な生活を強いられている子どもたちがいます。そんな子供が子どもらしく自由に遊び成長できる「子どもホスピス」。そこには命の輝きがありました。 

■“子どものためのホスピスを作る” 6歳の娘亡くした父の思いー

2021年7月、横浜市内に建設中の子ども専用ホスピスの上棟式が行われた。病院に併設しない、民間の子どもホスピスは全国で2例目。このプロジェクトの代表が田川尚登さんだ。

田川尚登さん
「どんな重たい病気、障害がある子どもと家族も地域から守られている、そういう場が日本にも絶対必要」

“子どものためのホスピスを作る”。その思いの源には、田川さん自身の体験がある。

田川さんは、24年前に次女のはるかちゃんをがんで亡くした。

田川さん
「(はるかちゃんが)6歳になったばかりの時から、朝起きると『頭が痛い』と訴えるようになったんです。週末に公園で遊んでいる時に右足を引きずっているのに気づいて、総合病院を受診したら『脳幹に腫瘍がある、悪性の脳腫瘍』と言われて、その場で『半年ぐらいしか生きられない』と告げられました。全然信じられなくて、こんなに元気な子がなぜ半年後に亡くなってしまうのかって…」

それから田川さんは、外出が好きなはるかちゃんのために、公園や近くの観光地へ頻繁に出かけるなど家族で過ごす時間を出来る限りつくったという。そんななか田川さんが驚いたのは、闘病中でも成長する娘の姿だった。

田川さん
「右半身が麻痺の状態だったけど、1週間ぐらいで右手で今まで書いていた字と同じぐらいのレベルの字を書けるようになったり楽器を左手で弾いたり、すごく短期間で上達していった」

膳場貴子キャスター
「闘病もするし、育ってもいる。そこがすごく大人とは違いますね」

田川さん
「そうですね。病室にいることはかなり縛りがあって、成長発達を止めてしまうような、そんな風に思って…成長にプラスアルファとなる場はすごく必要だなって」

余命宣告から5か月後の1998年2月、はるかちゃんは6歳で天国に旅立った。
精一杯、娘に寄り添ってきたが、それでももっと何かしてあげられたのではないかという思いを募らせてきた。

■“亡き娘のように”難病で苦しむ子供と家族の支援へ

その後、田川さんは仕事の傍らでNPOを作り、娘のように難病で苦しむ子どもと家族の支援を始めた。

まず取り組んだのが、付き添いの家族へのサポート。子どもの治療が長期に及べば経済的な負担は大きい。そこで田川さんは、はるかちゃんが入院していた病院のそばに宿泊施設「リラのいえ」を開設。大人1人1泊1000円という低料金で利用できる。

こうした活動のなかで、田川さんはイギリスの「子どもホスピス」のことを知ったという。
「子どもホスピス」は、イギリスで1982年に誕生し欧米を中心に広まった。命を脅かされている病気の子どもと家族が利用し、現在イギリス国内に50か所以上ある。運営は全て地域からの寄付で賄われている。

田川さん
「“ホスピス”というと、看取りの場所というイメージがあったけど、その中で家族と一緒に子どもが生き生きと色んな遊びをやったり学んでいたり。自分のときを思い出して(娘の闘病中に)こういう場所があったら、もっと楽しい時間が過ごせたんじゃないかなと」

“横浜に子どもホスピスを建てる”。それが田川さんの新たな目標になった。

建設費は約3億円。寄付を集めるため田川さんは各地で説明会を開き、施設の必要性を訴えてきた。地道な活動で個人や企業からの寄付を少しずつ積み上げ、建設までこぎつけた。