8人が亡くなり、およそ600人が重軽症を負った「松本サリン事件」から27日で29年が経ちました。
当時、オウム真理教と対峙した弁護士は、若者の孤立が生まれる社会状況は、29年が経った今も大きく変わっていないと指摘しています。
事件の現場となった松本市北深志(きたふかし)の駐車場周辺。
27日も学校や職場に向かう住民が行き交ういつもの朝を迎えました。
事件は、1994年6月27日の深夜に発生。

オウム真理教に対し土地の明け渡しを求めた裁判の妨害などを目的に、教団の幹部らが近くの裁判官の官舎を狙い、猛毒の化学物質サリンを噴霧。
8人が死亡し、およそ600人が重軽症を負いました。
世界で初めて市街地が標的とされた化学テロから29年。
現場の周辺では、事件の記憶が、若い世代へと受け継がれています。

■住民
「祖母が近所にいて窓を空けて私の離乳食を作っているときに起こったみたいで涙が止まらなかったって言ってました」 「こういう蒸し暑い日だったので(家族が)窓を空けて寝てたようなので影響があって病院に行ったりとかしたような話を聞きました」 「そんなに(29年)経ったのかという思いと当時、経験されている方にはこの月日も関係ないんだろうなと思います」
事件の動機とされる裁判で、当時、原告側の代理人を務めていた、松本市の山内道生(やまうち・みちお)弁護士。
29年が経った今も社会の状況は変わっていないと指摘します。

■山内道生弁護士
「若い人が現在でもそうだけれど生きがいを感じられないような状況。(社会に)魅力がないそれが共通しているところ」














