白川が氾濫し熊本県内に大きな被害をもたらした「6.26水害」から今年で70年です。
あの日、濁流に流されながらも九死に一生を得たという79歳の男性。当時小学校3年生だった時の記憶とは。

当時のナレーション「昭和28年6月26日 突如として九州を襲った大豪雨はわが県に未曽有の災害をもたらしました」
70年前の6月26日。24時間降水量が400mmを超える大雨となり、白川は熊本市中心部の至る所で氾濫しました。

この水害で白川にかかる熊本市内17の橋のうち、長六橋(ちょうろくばし)と大甲橋(たいこうばし)を除く15の橋が流され、街は火山灰が混ざった泥で埋め尽くされました。
死者・行方不明者は563人にのぼり、多くの家屋に被害が及びました。

「まさか白川が氾濫したとかはすぐは想像つかなかった」
熊本市の田尻康博(たじり やすひろ)さん(79)。当時と同じ白川にほど近い場所に現在も住んでいます。

当時は小学3年生だった田尻さん。あの日、学校から帰り、自宅で4歳の弟と遊んでいました。しかし夕方、気付くと家の土間にまで水が入ってきていたといいます。
「えー、なんだこりゃって思ってね。お母さん、ちょっと大変!って言って母を呼んだ」

すぐに近くにある小学校に避難するため、母親は弟を背負い田尻さんの手を引いて、大雨の中、白川と逆の方向に歩き出しました。濁流が覆う道を避難所へと急ぐ親子。しかし、最初の交差点に差し掛かった時でした。
「そこのところで、氾濫した水が)私の子どものときの太もも(の高さ)くらいになっている。だからものすごい急流、激流で(母親と繋いでいた)手が離れたわけ」

想像以上の水の勢いに踏ん張りきれず、母親と繋いでいた手は離れ、田尻さんは濁流に飲み込まれたのです。
「『お母さん助けて』って。とにかくもがいた」

濁流にのまれた田尻さん。その生死を分けたのは…