昭和のはじめにも湖上の線路は残る

入江記者
「石臼みたいな物がありますけど?」
稲田さん
「そうですね、これは如泥石といいまして。波打ちを守るための護岸のための石ですね。奥の本通りからかつての宍道湖岸、こちらの方は高低差があるというものが良く分かりますね」
如泥石
この場所に生まれ育ったという男性も…

今井隆良さん(82)
「ここから先は宍道湖だったです。西風がよく当たるんで、こういう如泥石を積んで、防波堤にしとったわけですね」

家の前にあるふたを開けると、3段に積まれた如泥石がありました。
徐々に埋め立てられるなどで陸地化し、畑だった部分もあったといいます。

その後の地図を見ると、多少岸の形が変わっているものの、昭和のはじめにも水の上の線路は残っていました。

しかし戦後、現在の国道9号が有料道路として開通し、さらに山陰線が高架化されて、水の上の線路だった痕跡は、たどれなくなってしまいました。

かつて存在していた、宍道湖の上を通る線路。
古い地図が、歴史の事実を今に伝えています。