村へ移住 果樹園作り「渋谷とのかけ橋」に

「村の復興をもっと後押ししたい」そんな思いから、塚越さんは3年前に飯舘村に移住しました。

塚越さん「お花を育てるのは私も初めてで何もわからないので、一応言われたとおりにやってるんですけど」

移住後、塚越さんは、自宅前の畑を耕し、コギクの栽培を始めました。育てたものは飯舘村産として関東に出荷する計画です。

塚越さん「小原さんって(殺虫剤を)まくときに混ぜます?」
小原健太さん「混ぜたほうが効率は良いんですけど、混ぜちゃいけない成分もある」

作業を共に行うのは、塚越さんと同じ3年前に村に移住した小原貴子さんと健太さんです。

小原貴子さんと健太さん夫妻

小原健太さん「2020年に埼玉県から移住してきました。元々は私が農業したかったからという理由」
小原貴子さん「(塚越さんは)飯舘村のことも大事に考えて、このコギクの栽培も頑張っているので、ちょっとでも力になれたらなと思って」

2017年に大部分で避難指示が解除された後、村には毎年20人以上が移住しています。村では、日に日に、移住者たちの存在感が大きくなっていると話します。

塚越さん「(移住者は)色々ここに来るまでのプロセスを持っている。それで仲良くなって、今まで何してたのとかいう話で関係も深くなるし、これは安心感を与えてくれる」

塚越さんは「ある場所」に案内してくれました。

塚越さん「ここなんです、どうぞ」
井上和樹アナウンサー「ここはどんな場所ですか?」
塚越さん「渋谷の公園通り商店街と飯舘村の方々で作った共同の果樹園になります」

去年8月、塚越さんは村民や渋谷から招いた人たちと共に、およそ5アールの畑にリンゴの苗木30本、サクランボの苗木10本を植えました。

塚越さん「リンゴが3品種、サクランボが1品種あるんですけど、その実が結ぶまで一緒に作業して実が結べばいいよねと、つまり長期的な交流ができるようにこの果樹園をつくりました

塚越さんはこの果樹園を「飯舘村と渋谷のかけ橋」にしたいと意気込みます。

塚越さん「(飯舘村は)原子力災害で一旦どうしても出ていかなきゃいけないという事情になってしまって、それがかなり長い間続いた村、特に都市部に住んでいる方にはこういった飯舘村のような過疎地に目を向けて興味を持ってほしい。そのためにもこういう取り組みはその1つになるんじゃないかなと思う

【解説】
塚越さんによると果樹園のサクランボとリンゴは収穫できるまでには6年以上はかかるということです。そのため、収穫できるようになるまで草刈りや枝払いなど、様々な手入れを通じて都内の人たちに村に繰り返し足を運んでもらうという考えです。今はホープツーリズムによって県外の人が被災地を見に行く機会は増えていますが、一度訪れるだけでなく、いかに継続的に足を運んで目を向けてもらうかが大切だと思います。