トゥレット症と生きるウーバー配達員のあべ松怜音さん(28)がCBCテレビに手記を寄せてくれました。


(あべ松怜音さん)
皆さんは生きていてどうしようもない悔しさを感じる瞬間はありますか?

僕はトゥレット症。他の人とは少し違った個性をもって生まれました。

「あの人に関わっちゃいけないよ」「目を合わせちゃダメ」「あ、ヤバいやつきた」

そんな声が街を歩けば聞こえてくる。僕の中の「もう1人の僕」が僕を押しのけて出てきます。そんなとき僕はイヤホンをつけて自分の世界に入り込むのです。外部の音をなるべく聞かなくてすむように。

心の中ではいつも「俺ってそんな悪いやつじゃないのになぁ」ってつぶやいてます。それが僕の日常です。

僕は鹿児島県で生まれ育ち小学校2年生でトゥレット症を発症しました。数年間は抑えられない自分のおかしな癖を病気とは認識できていませんでした。

父親とはじめて病院にいってトゥレット症と診断された日のことはいまだに忘れられません。子どもながらに簡単な病気ではないことはなんとなく理解していました。

初対面の人に罵られたり、真似をされることは日常茶飯事。なんとかポジティブに生きようと毎日必死でした。

知ってほしい。

ただそれだけでいい。

介助も保護もいらない。

それだけで横並びのスタートラインに立てる。

人は未知のものに対して臆病になる生き物です。知らないことは怖いし、理解できない。伝える手段が欲しかった。だから僕はトゥレット症を伝えるひとりのロールモデルになりたいと思いました。

取材を受けた理由はまず「自分が楽になりたかったから」です。同じ病気の人に勇気を与えたいなんて思うきっかけもなかったし、そこまでの余裕はありませんでした。

知ってもらうか、病気を治すしか世の中に紛れて生きていく未来が見えなかった。ならば、知ってもらいたいと思いました。

誹謗中傷もたくさんありますが、世間は思っていたより温かかったです。動き出してから目に見えて身の回りの反応が変わりました。

病気の説明をすると「知っているから気にしないで」って言ってくださる方が増えました。なんか正式に社会に認められたような気分。改めて生きてきて良かったなと強く思えました。

病気を隠さなくていい社会がもうすぐそこに待っている気がします

「この世に生まれ落ちたときから皆それぞれに役割がある」

これが僕の心の中での支えであり生き方のテーマです。この病気を持って生まれたことで自分にはなにができるのか。

神様がふざけて作ったような病気だけれど意外に向き合ってみるとできることはいっぱいある。


結構それはそれで楽しいかな?って思えるようになりました。

この気持ちはきっと同じ病で悩める仲間にも伝わるはず。

僕が幼少期から過ごしてきた経験が少しでも世の中の役にたっていることが嬉しいです。僕は子どものうちからさまざまな病気に対する知識をつけていくのは大切なことだと思っています。

別に浅い知識でも構いません。小学校でトゥレット症の授業をやった際に子どもたちは目をキラキラさせながら一生懸命知らないことを理解しようとしてくれました。「病気のお兄さん」ではなくひとりの人間として接してくれました。

出前授業を行った怜音先生


だから僕も真剣に向き合いました。

人を傷つけることはすごく簡単です。理解し包み込むことのほうがずっと難しいんです。色々な個性が交わり合う社会において、少しでも愛のある生き方ができる人間に育ってくれると嬉しいと思っています。

マイノリティが勇気を出して社会に発信できるというのはとても平和なことです。

そして自分のコンプレックスを武器にできる人が増えたらもっと素敵な社会になると思っています。

最後に、僕にはがあります。

トゥレット症の人もそうですが、普通の飲食店で食事をすることが難しい人が世の中にはいらっしゃいます。

僕はそういう人達が人目を気にせず好きなだけ騒げる飲食店が作りたいと思っています。

お店のルールはひとつだけ。「人を傷つけないこと」

それ以外はなんの制約もありません。たくさんの笑顔が見られることを目標に夢へ向かって頑張ります。

これからの人生が楽しみです。


(2023年6月9日 あべ松怜音)