県政史上最長となる5期20年続いた三村県政。農林水産業の振興など様々な成果を上げる一方で課題が残った分野もあります。
※2003年6月12日 三村申吾知事
「ふるさと・青森県から日本を変えるんだ。その気概を持って、知事選挙に臨んでいきます」
三村知事は2003年の知事選に衆議院議員を辞職して出馬し、戦後の県政史上最年少となる47歳で初当選を果たします。就任直後から取り組んだのが行財政改革です。
当時、青森県は財政再建団体に転落する危機に瀕していました。県の借金「県債」は2003年度に1兆2500億円を超えていたため徹底した行財政改革を推進。その結果、今年度は8800億円台にまで減りました。また貯金にあたる基金も2017年度の当初予算からは取り崩し額「ゼロ」の「収支均衡」を達成しています。こうした財政の立て直しとともに尽力したのが経済の活性化です。
攻めの農林水産業を2004年度に始めてからはトップセールスに奔走します。さらに県産米の新品種の開発にも積極的に取り組み2005年にまっしぐらが、2015年に青天の霹靂がデビュー。青森県の農業産出額は2015年から7年連続で3000億円を突破しました。
観光振興による経済の活性化にも力を入れました。2017年の中国・天津線を始め国際定期便の就航が相次ぐと「立体観光」と銘打ち青森県から新幹線を使って北海道まで周遊するツアーなどを売り出し誘客を図ります。こうして上向きかけていた県経済を一変させたのがコロナ禍でした。感染が拡大するなか県民から指摘されたのは「三村知事の発信力不足」です。
2020年10月に発生した弘前市の飲食店クラスターでは最終的に191人の感染が確認されましたが、発生当初、県民向けの情報発信は幹部職員に任せていました。そして三村知事はコロナ禍からの脱却に向けてさらなる対策を模索するなか重大な決断を下します。
※2023年1月21日 三村申吾知事(当時66)
「新たなる知見も取り入れながら県政を着実に前へ進めていく。そのための『つなぎ』をはたすこと。これがいまの知事としての大義でありコロナ禍により様々ありましたが、つなぎをはたすことをできると自分自身感じることができ、この度の退任したいという決断をした次第です」
三村知事は様々な分野で実績を残しましたが依然として歯止めがきかない人口減少を始めとした県政の課題は次の知事へ引き継がれることになります。