■国会爆竹事件とは何か
沖縄が本土へ復帰する半年ほど前、沖縄返還協定が批准される「沖縄国会」(1971年10月19日)で佐藤栄作首相の演説中に事件は起きた。国会の傍聴席にいた若い男2人女1人が、次々に爆竹を鳴らし、ビラを捲き、「沖縄返還協定粉砕」を叫んだ。
当時、本土の一部では沖縄出身者に対する差別や偏見があった。飲食店のなかには「沖縄の人おことわり」の貼り紙をしたところもあったという。そうした経験を共有した若者たちは、本土「復帰」が果たして本当によいことなのかどうかを疑った。
■51年を経て当事者たちが初めて取材に応じる
国会爆竹事件に直接関わった当事者に会うまでには、かなりの歳月を要した。3人のうちの1人、本村紀夫さん(73)が事件から51年を経て初めてテレビのインタビューに応じた。
「ヤマト(本土)に行って一番感じたのは、日本人は沖縄のことをよく理解していて『沖縄は戦争で犠牲になって大変だな』って言ってくれるだろうと思ったら、全く違う世界。よく『日本語うまいね』とか『英語喋れるの』とか言われました。だんだん怒りが増してきて、何なのって話になっていく中で(仲間と)知り合いました。何かしなきゃいけないっていう」

仲里効さん(事件当時24歳):
「声明文がこれなんですけどね。『全ての在日沖縄人は団結して決起せよ』と。これは僕が書きました」
国会爆竹事件で実際にまかれたビラが、何と1枚残っていた。

仲里さん:
「そうですね。他者として日本から扱われる、見られる。いわゆる眼差しの政治というか、そういうものがありますけども、逆に自ら選び直していく。自らの主体を作り、創造していく(沖縄人)という意味も込められて『在日』という(表現が)あるわけですね」