母を讃える歌、落語、百面相、踊り…「母の日大会」での感謝の形
ーー母の日大会が開催される前から、“母をたたえる歌”で機運を高めていたんですね。では、母の日大会ではどんなことをしたんですか?
「1937年5月8・9日、東京・豊島園で行われました。子どもたちと一緒に飛行機の遊具やボートに乗ったり、模擬店がでていたり、福引ができたり、楽しい一日を過ごせるようになっていたようです。
また、お母さんへの感謝の気持ちを伝える式典もあって、そこでは母を讃える歌の発表や、お母さんに楽しんでいただくための歌や落語、百面相、踊りもあったようです。20万人の“お母さん”を無料招待したと記録されています。
ーーお母さんへの感謝尽くしですね…。
「母を讃へ、母に感謝し、母を護り、母を憶ふ日ですからね。豊島園だけで行われていたのは、第一回のみで、その後、函館や福岡や京都など多くの主要都市で母の日大会を開くようになって、「母の日」が全国的に普及していったと考えられます」
ーー森永製菓の「母の日」に対する思いの強さを感じます。なぜここまで「母」にこだわったのでしょうか?
「元々、森永製菓は1899年に「栄養のあるおいしいお菓子を日本の人々に食べてもらいたい」「お菓子を通じて笑顔を届けたい」という思いで創業している会社です。そのような企業理念を持つので、「お母さんに感謝の気持ち」を伝えるという優しく心温まる行事を知り、共感したので、ぜひ広めたいと考えたんだと思います。
森永製菓が広く告知はしましたが、「お母さんに感謝する」という母の日の主旨が、当時の日本の人々の心の琴線に触れ、広がったのだと思います」
日本に「母の日」を広めた「母の日大会」。そこでは、お母さんを讃える歌や落語、百面相、踊りまで、とにかくお母さんに、できる限りの感謝を表していたようです。今年もカーネーションを送っておけばいいかな、くらいに思っていたけれど、日本に「母の日」を浸透させた原点に触れて、改めて自分ももっと母を喜ばせてあげられることがないか、考えてみたくなりました。

















