太平洋戦争末期、78年前の5月11日、宮崎市では、アメリカ軍による空襲で、多くの犠牲者が出ました。
空襲で犠牲になった子どもたちを供養する「いとし子 命の集い」が宮崎市の小学校でありました。

1945年5月11日、現在の宮崎大学附属小学校にあたる宮崎師範男子部附属国民学校の子どもたち12人が集団下校中、アメリカ軍の空襲に遭い犠牲に。

また、女子部の子どもたち4人も校内で命を落とし、宮崎大学附属小学校には16人を供養する「いとし子の供養碑」があります。

11日は、犠牲になった子どもたちを供養しようと全校児童およそ600人と遺族など8人が参加して「いとし子命の集い」が行われ、犠牲になった児童の同級生の田崎嘉男さんが、空襲から逃げた体験や平和への思いを語りました。

(田崎嘉男さん)
「今は食べ物も洋服もなんでもあります。この普通の生活をできるということに非常に感謝してください」

そして、児童たちは全員で黙とうを捧げたあと、代表者が供養碑に花を手向けました。

(児童)
「ご遺族の方の話を聞いたりして、いま平和な世を暮らせているのは当たり前ではないということを知った。戦争するのはいいことではまずないのでやめてほしい」
「これ以上戦争で人を亡くしてしまうというのはもうしてほしくないという思いで、人をなくしてしまうその苦しみとかそういうことを感じて命の尊さを学んだ」

児童たちは、命の尊さを学び、平和への誓いを新たにしていました。