初の国産自動車を製作した岡山市出身の技術者、山羽虎夫の功績を広く発信しようと、人目に付きづらい場所にあった胸像が岡山市北区の京橋に移され、その除幕式が行われました。


移転・お披露目されたのは岡山市出身の技術者、山羽虎夫の胸像です。1904年に初の国産自動車を製作し、日本の自動車産業の基盤を築いた人物です。胸像は3月まで岡山城の内堀のそばにありましたが、より多くの人に偉業を知ってもらおうと人目に触れやすい京橋へ移されました。式典にはひ孫にあたる山羽真二さんも愛知県から駆け付けました。

(山羽虎夫のひ孫 真二 さん)「華やかな、にぎやかな場所に移転されたということで、さぞかし喜んでいるんじゃないかと。これから岡山市民の方々にそのほかの方々も先人を偲ぶ場所になればと思います」

(大森雅夫岡山市長)「この胸像だれだろう。山羽虎夫さん何したんだろうということで、ひとりひとりがわかっていただく、知っていただくだけも大きな効果だと思う」

7日の京橋朝市では、山羽虎夫が製作した蒸気自動車のレプリカが展示される予定です。

(メモ)自動車産業の発展などに貢献した人を讃えている日本自動車殿堂の殿堂者に去年選ばれました。