鹿児島市の彫刻家・中村晋也さん(96)が10年以上かけて作った大作「釈迦八相像」が完成し、奈良県の薬師寺に納められました。釈迦の生涯を八場面に分け、自身が「千年残る仕事」と語った道のりを取材しました。
(中村)「年、忘れたね…(笑)」
(豊平)「それくらいがいいんだと思います」
(中村)「自分の年くらい覚えていればいいんですけどね」
彫刻家・中村晋也さんは1926年=大正15年生まれの96歳。鹿児島中央駅前の若き薩摩の群像や、大久保利通像、伊集院駅前の島津義弘公像などの制作者としても知られています。
中村さんは80歳を過ぎて大作に取り掛かりました。
「さぁ、長いですよ。どうなりますかね」
それが、釈迦の生涯を8つの場面に分けた「釈迦八相像」の制作です。1場面だけで、高さおよそ3メートル、幅およそ5メートルあります。
(当時のインタビュー)「これは、1つ自分の使命だと。新しくこれを作らせていただける、この時期に私が生存していたという幸せを感じています」
奈良・薬師寺。およそ1300年前に創建された時には、東塔と西塔に釈迦八相の像が安置されていたといわれています。しかし、長い年月の中で、火災にあったり自然に朽ち果てたりし、500年ほど前から釈迦八相像は失われていました。
本来の姿を取り戻したいと、薬師寺から中村さんに釈迦八相の制作が依頼されたのは2007年ごろ。最初に5場面から8場面、そのあと1場面から4場面を作り、11年かけて大作を完成させました。
制作中、中村さんは釈迦八相にかける思いを話していました。
(中村さん)「この仕事は今から1000年残ります。あるいはもっと残るでしょう。怖いですけどね」「ずっと残るだろうっていうのは、やっぱり怖いです。怖いから緊張感があるのかもしれませんね」
国宝の東塔では大規模な解体修理が終わり、今月、招待者が集まり、完成を祝う法要が行われました。
(記者)「国宝・東塔の中です。この柱、およそ1300年前のものです。そして、中には中村晋也さんが制作したブロンズの像がおさめられています」
東塔には、釈迦が生まれる前の場面「入胎」。釈迦が誕生した「受生」。
(中村さん)「生まれてすぐにトントントンと歩いて、七歩歩いて、『天上天下唯我独尊』とおっしゃった」
王子として過ごす日々から修行に出るまでを表現した「受楽」。そして、過酷な6年間の修行「苦行」。家族や仲間から離れ、狭い場所で独り座り続け、やせ細った釈迦の覚悟が伝わるような場面です。
この日は、命を授かってから悟りを開くまでの4場面が公開されました。
もう一つの塔、西塔には、悟りを開いた成道、各地を旅した転法輪、最期の時を迎えた涅槃、遺骨を分ける分舎利の4場面が2015年に奉納されていて、8場面すべてが揃いました。
1000年先を見て、85歳から作り続けた11年。完成した、今の思いは。
(中村さん)「(釈迦八相の制作は)夢のようでした。長いとも短いとも思わない」「自分と自分とのたたかい。結局、自分が納得しなければ仕事は進まない」
かつての釈迦八相像が姿を失ったのは1528年。薬師寺に釈迦の生涯が戻ったのはおよそ500年ぶりです。
(釈迦八相像を見た人たち)
「もう胸いっぱいになって拝ませていただきました」
「壮大なものを見させていただいた。思ってた以上のものだった」
「すばらしかった。心が洗われた」
(中村さん)「作品というのは、常に見てくださる人との勝負です」「より多くの人に、自分の考えていたこと、一歩でも二歩でもいいから、お釈迦様のお姿に近づけるような道をこちらも開いていければ、いちばん効果的」
千年残る仕事。薬師寺に納められた釈迦八相像は、参拝する人たちの願いや祈りを受け止めていきます。
薬師寺では今月28日から来年1月15日まで、東塔と西塔を公開し、一般の人も釈迦八相を拝観することができます。
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