当時の調査官を直接取材

一方、調査官だったとされるA氏は、面会後に数万円を渡してきたこともあったといいます。中国関係の勉強会で講演料を受け取る機会も多かった鈴木氏は、受け取ってしまったといいます。
鈴木英司氏
「(情報を)取ってきてくださいと、頼まれたわけでもない。彼ら(調査官)と会ったのが浅はかだった」
公安調査庁との接点を「浅はかだった」と振り返る鈴木氏。
一方で、判決文で調査官とされていたA氏は当時、鈴木氏に情報収集の任務を依頼するため、接していたのでしょうか。判決文に記載されていたA氏を直接取材しました。

Q.鈴木英司さんとはどういう関係か?
判決文に記載 当時の「調査官」A氏
「なんだったかな。えーと。何かの研究会でいらしてた気がする。なぜその方に関して私が認定されるのか、私の側の問題ではないので」
Q.関東公安調査局の元調査官とあるが間違いか?
判決文に記載 当時の「調査官」A氏
「その点についても、私から何も答えることはできないと思う」
Q.鈴木さんを通して情報を得ていたか?
判決文に記載 当時の「調査官」A氏
「私はないですね」
A氏は、鈴木氏との面識はあるものの、情報収集については否定。調査官だったかについては、明確にしませんでした。
鈴木氏は帰国後、公安調査庁に説明を求めましたが、今も連絡はないといいます。

鈴木英司氏
「公安調査庁に謝ってもらう必要はないけども、真摯に私の言葉に耳を傾けてもらいたい。でないと、もっと出てくるんじゃないか、私のような人が」
一方、判決文で「公安調査庁」と記されていたのは鈴木氏だけではありません。入手した、もう一つの判決文にも「公安調査庁」と記されていました。
この判決文は、2015年に“スパイ行為”で拘束された日本人に対するもの。公安調査庁の指示で、中国政府の関係者から、情報を収集したとされています。














