1950年代、冷戦構造が深まるにつれ米ソ両国の核開発競争が激化。アメリカ軍は沖縄の防空体制を強化するため高い高度から侵入してくる機体に対してはナイキミサイルを、レーダー網をかいくぐり低い高度から侵入してくる機体を迎撃するためにホークミサイルをそれぞれ沖縄に配備しました。                            
             
配備に先立ちUSCAR・米国民政府が宣伝用につくった映像です。「追いかける殺し屋」の異名をもつホークミサイルの実態が映し出されています。
■米国民政府が宣伝用につくった映像

宣伝のナレーション
「さて今度は低空を飛んでくる飛行機に対する発射です。あっという間に撃墜するところをご覧ください」

当時どんな兵器が配備されているか知る由もなかったという集落の人々。今回その映像を見てもらいました。
宮城区長
「基地があった頃にはそこまで考えていなかったけど、大人になって今考えると基地があるがゆえに狙われるという感覚は十分ある、大変危険じゃないかなという考え方もできますね」

沖縄の本土復帰に伴い全面返還された多野岳。返還地の今後の利用方法についても意見があがりました。

「どうしても観光地に引き戻すことができれば、これは幸いだなとみんな思っているんじゃないでしょうか」
■多野岳の過去と現在

返還後、多野岳には保養施設がつくられ一時は活況を呈していました。しかし施設の老朽化などを理由におよそ10年前に閉館。現在は残土置き場として使われていて市の許可がないと立ち入ることはできません。
宮城区長
「こっちは公園の一角として区民が市民が遊べるところにしたいし、今現在残っているミサイルの跡がみなさんに教えるためにも残して掲示板を作って、知らせる必要があるのかなと思いますね」



松田さん
「やはりこちらを公園化するとね、こういういきさつを表示していくことができると思う。沖縄に(米軍占有施設)70%もあるということについては大変なことだなと。特に最近ウクライナのことなど見てみると、基地のあるところが狙われているので、そういう風な恐怖感は非常に抱いております」

東西冷戦の最中、多野岳につくられたミサイル基地。廃墟の陰に残る発射台の跡は、沖縄が核攻撃の脅威にさらされていたことを静かに伝えています。