ウクライナ情勢を受け、自民党内で持ち上がった「核シェアリング論」。自国に核が配備されるとはどういうことなのか。かつて核ミサイル基地があった沖縄の声を聞いた。
■持ち上がる“核シェアリング論” 日本で核が配備されていた地・沖縄に聞く
自民党の提言には盛り込まれなかったものの、今回、議論が持ち上がったのが“核シェアリング”だ。
安倍晋三元総理(2022年3月3日)
「NATOは核シェアリングという手法をとって、核の脅威に対して抑止力を持っている。私たちがなぜ非核三原則を基本的方針にしたかという歴史の重さを十分にかみしめながら、しかしこの現実の中で、議論をするのは私は当然なんだろうと」
NATOの5か国が実施している「核シェアリング」。協定を結んだ国にアメリカの核兵器を配備し、共同で運用する仕組みだ。

安倍氏は月刊誌で、現状の「アメリカの核の傘」とは違い、核使用のプロセスに参加することができると主張している。
自国に核が配備されるとは、どういうことなのか・・・。
かつて日本には核兵器が存在していた。占領下の沖縄だ。
日下部正樹キャスター
「恩納村の高台に立っています。眼下には沖縄の青い海が広がっています。目を転じると白い建物がありますが、かつてのアメリカの核ミサイル発射場の跡です」
ここは、占領下でアメリカ軍の核ミサイル発射基地だった場所だ。8基の核ミサイルが配備されていたという。

日下部キャスター
「こちらが核ミサイル発射基地の入口ですね。この中は、ほぼ当時のまま残っていると。NO SMOKINGなんていう文字も当時のままだそうです」
「要塞のような造りになっています。この入口なんて非常に頑丈にできていますね。非常に分厚いコンクリートでできています」
歩を進めていくと、見えてきたのはかつて司令室だった場所。当時のままの姿を残すそこには、かつて核の発射ボタンがあったという。

ここに配備されていた核ミサイルの名前は「メースB」。射程距離は北京まで届く2400キロ、威力は広島に落とされた原爆の約70倍だった。
日下部キャスター
「こちらが発射台です。今は平和についての展示室になっていますけど、ここがミサイルの発射台です」

東西冷戦が深刻化した1950年代以降、沖縄にはアメリカ軍の核ミサイルが32基、核弾頭が1300発持ち込まれていた。アジア最大の核基地だったのだ。