言われなき偏見との戦い
ヒロシマ・ナガサキの記憶が新しく、なおかつ放射能への情報が乏しい当時のこと、被曝した船員たちは「放射能がうつる」などといわれのない偏見の中、乗船の事実をひた隠しにするような生活を送ります(元乗組員・大石又七さんの証言)。
また遠洋からのマグロ全般、同じ海域で獲れたものはすべて廃棄処分とされました。

また、しばらくは風評被害が続き、一般に売るにも、わざわざ「安心です、放射能とは関係ありません」と断らなければ売れなかったと言います。

船はどうなった
第五福竜丸自体は、文部省(当時)が調査のために買い上げ、入念な除染を施された後、東京水産大学(現東京海洋大学)の練習船になりました。その際「第五福竜丸」の名は「はやぶさ丸」とあらためられました。

その後、老朽化のため廃船となり、夢の島のゴミ捨て場に放置されるという運命をたどります。当時の夢の島は、運河がめぐるゴミの埋立地で「船の墓場」とまで呼ばれていたのです。

しかし、すべてが風化し、忘れ去られようとしている中「第五福竜丸を忘れるな」との運動が盛り上がり、夢の島公園の中に東京都立の「第五福竜丸展示館」が作られました。
また乗組員たちも、自らの口で被爆体験を体験を話すようになりました。
第五福竜丸は、今も当時の資料とともに東京江東区の夢の島公園の中に展示されています。入場無料です。第五福竜丸の意外な大きさにちょっと驚くかもしれません。
