長男・光さんの誕生

きっかけとされるのが、障害のある長男・光(ひかり)さんの誕生です。
心の葛藤を抱えた大江さんが、6歳の光さんと林の中を歩いていると、美しい鳥の声が…
すると、それまで人の言葉に無反応だった光さんが、その鳥の名を口にしたのです。その後、光さんは音楽の才能を見いだされ、作曲家に。
こうした体験を通じて、大江さんは、人間の可能性への暖かなまなざしや、鋭い人間洞察を作品に投影しました。
「あいまいな日本の私」と題されたノーベル賞受賞の記念講演では、大江文学の根底にあるものを、こう語っています。
「日本は、再出発のための憲法の核心に、不戦の誓いをおく必要があったのです―」
戦争と平和の問題を作品に―

10歳で終戦を迎えた大江さんは、新憲法の理念に強い感銘を受け、戦争と平和の問題について、作品を通し声を上げ続けました。
本土復帰前の沖縄取材を基にした「沖縄ノート」では、米軍統治下の実態を記し、広島で被爆者や治療にあたる医師を取材し、ルポルタージュ「ヒロシマ・ノート」をまとめます。
大江健三郎さん(1994年)
「日本人としては原爆の問題を将来の問題として、人間の文明の問題、文化の問題として捉え直していくということが常に必要だと」














