国会では安倍政権の総理補佐官が総務省に対し、放送法について事実上解釈変更を迫ったのではないか問題が取りあげられている。これまで一般国民には馴染みの薄い、あまり関係がないように見える“放送法”とは何か?今、改めて議論した。
「放送に対して政治が何らかの影響力を及ぼしたい…」
現在、国会で問題になっているのは総務省の公開文書によって明らかになった放送法の解釈変更をめぐる礒崎総理補佐官(当時)による総務省への問い合わせだ。その内容には恫喝のような表現もあった。かつて総務省で放送行政に携わってきた元官僚は、今回取り沙汰されていることをこう表現した。

元総務省官僚
「以前から放送に対して政治が何らかの影響力を及ぼしたいとか、自分たちにとって都合の悪いことを言って欲しくないとか、そういう意向を及ぼそうとする力を感じることはありました。なので今回のようなことがあったとしてもおかしくないと思いました」
礒崎総理補佐官(当時)が総務省に事実上の変更を求めたのは番組の公平性についての解釈。放送法では“政治的公平性”を明記しているが、それについて、これまで一貫した解釈は、放送事業者の全体的姿勢に対するもので、ひとつの番組で判断することではないという解釈だった。これをひとつの番組でも政治的公平性を欠いたら取り締まれるような国会答弁を引き出す、つまり解釈の変更を迫ったというのが今回の公開文書から読み取れるのだ。
そもそも放送事業は総務省の監督下にある認可事業で、総務大臣は電波法76条によって放送法に違反した放送局の電波を止める権限を持つ。ただこの“停波”は影響が大きすぎるため一度も行使されたことはない。しかし、放送局にとって総務大臣の権限と放送法が絶対的なものであることに違いはない。その権限や法の解釈が官邸の一存で動くようでは大問題だ。
上智大学総合グローバル学部 前嶋和弘教授
「これ(政権による放送法の解釈変更)をしないことで日本の放送と政府の関係が成り立っていた。言論の自由はあるんだけれど、郵政省(現総務省)が免許を持っている。省庁は政府の一員で、メディアにとっては監視する立場にある。監視する所から免許をもらってる。ということは監視する方が本当に力で“お前たち黙れ”ってやったら、これ権威主義国家と同じなんです。今回のことはそこに踏み込んでしまったんです。歴史的にも大きいし、言論の自由の国家の中でかなりの話だと思う」