着衣像はほかにもたくさんあった これは令和の「笠地蔵」なのか
桃太郎像から調査依頼を受けたわけではないが、調べてみると、やはりあった。

城下交差点からほど近い石山公園は、木々がしっかり茂っていて、後楽園や岡山城に向かう観光客にとっては別世界への扉を開けるエントランスホールだ。
日陰紋様が美しい小径を進むと、木立の中に見上げるほど立派なブロンズ像(作者不詳)がある。

こちらは、帽子とマフラーにダッフルコートを羽織ったフル防寒仕様だ。ここまでいくと、もはや何の像なのか判別も難しく、「夜間は人に見えて恐ろしい」などと言う声すら聞こえてきそうだ。

かつて岡山の街を闊歩した、ナンバースクールの書生「六高マン」を彷彿とさせる凛とした立ち姿。視線の先は、標高499mの金山山頂だろうか。未来を見据えているに違いない。

ただ、オリジナルの姿は裸婦像なのであった。

公園を後にしようとして、危うく見落とすところだった。まだあった。乳飲み子を抱えた女性(大桐国光作)がニットキャップを被っている。

おそらく「施し」をした人物は、この幼な子にもキャップを被せようとしたのではないか。ところが構造的に叶わず、もう1つのキャップを持ち帰ったに違いない。そんなことすら想像してしまう。

この3体を見るにつけ、この時点で市街地中心部のブロンズ像の多くが、何らかの防寒具を装着していたであろうことは想像に難くない。「桃太郎大通り」沿いには他にも別の桃太郎や家来のサル、キジ、イヌなどの像が点在する。
案の定、SNSにはいくつかの写真とともに、服を着た像たちの様子を取り上げた書き込みがいくつか見つかった。
これらの着衣像がすべて同一人物の手によるものか、複数が関与しているのか、あるいは組織的な活動なのか定かではないが、写真を見る限り、いずれもいたずらや何らかのメッセージなどではなさそうだ。
「さぞ寒いだろうからせめて」と言う “笠地蔵的善意” が、この行為に駆り立てた最大の原動力なのではないだろうか。