「ロシア国民自身の罪」国民自ら、権力者の言いなりになる「不自由」を選択
ロシア軍は2022年3月30日までの1か月以上キーウ近郊のブチャを占領した。その後市内の至るところに市民の遺体が放置されていることがわかり、ゼレンスキー大統領は、国連の安全保障理事会で「第2次世界大戦後、最も恐ろしい“戦争犯罪”だ」と演説した。
ーーアレクシェービチさんは何がロシア人からこんなふうに人間性を奪ってしまったのだというふうにお考えになりますか。
「それは、わたしたち皆が考えている問いです。私は何十人もの人々に問いかけ、話を聞きましたが、みんな呆然として、いつこのような概念の問題が発生したのかわからないというのが現状です。

プーチンの時代になって、プーチンが国民を鼓舞するプロパガンダのために作ったスローガンがあります。“ロシアは、こんなにも長い間、屈辱を味わってはいけない” “ロシアは、面子をつぶされてはいけない”つまり、“我々は再び偉大な大国になるべきだ”と説いたのです。
それは国民自身の思いでした。プーチンは、国民が聞きたがっている言葉を口にしたにすぎないのです」
ーープロパガンダの道具として一番影響を受けているものはなんだと思われますか?
「それはテレビと、そこで働いているジャーナリストのせいだと言われています。国民を騙しているという点では、彼らは犯罪者です。
しかし、決してそれが全てではありません。人々がプロパガンダを一切受け入れなければ、プロパガンダは彼らに影響を与えることはできないからです。テレビは『国民が聞きたいと思っていること』を伝えているのです。ですから私は“ロシア国民自身の罪”だと思います。
彼らが、ロシア軍は強くて正義であるという幻想を捨てられないのは、信じるものがなくなってしまうからです。彼らの世界が壊れてしまうからです。この騙された人間の妄想の世界を、彼らは守りたいのです」
ナショナリズムの危険性に「私たちは言葉を発し続けるべき」
そして、アレクシェービッチさんは国家や民族を重視する「ナショナリズム」が世界に広がりつつあることに警鐘を鳴らした。
「私は、現在のような時代は特に、ナショナリズムの危険性があることを知っておくことが重要だと思います。ナショナリズムの危険はウクライナにもあります。だから、文化に携わる人たちはそのことを常に覚えておくべきであり、それ(ナショナリズム)に反対すべきです。それと同時に、オープンに語るべきです。
憎しみは私たちを救いはしない、ということを知らなければなりません。私たちを救うのは愛であり、私たちは人間として生き、自分自身の中の“人間”を救わなければなりません。私たちそれぞれの国に、次のナショナリズムの侵入を許してはいけません」
ーー「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である」とアドルノはいいました。いまではこのフレーズの新しいバージョンができてしまいました。つまり「ブチャ以後、文学に携わることができるのか?」というものです。この点についてどのようにお考えですか?
「私は、芸術や文学は、現在の出来事にあらゆる手段で抵抗すべきだと思います。私たちは人間を完全に矯正できるわけではありません。見ての通り、あまり変化はありません。しかし、もし私たちが人間と話をすることを完全にやめてしまったらどうなるでしょうか?芸術が、文学が、人間と対話することをやめてしまったら?
私たちは言葉を発し続けるべきです。私たちは人間を育てていくべきです。人間は時々、文化がするりと抜け落ちてしまったら、人間らしさを失ってしまうことがありますが、そこで諦めてはいけません。もう一度、取り組むべきです。もう一度、人間を育てていくのです。
この先、私たちのこの時代を評価するときに、ブチャや、その他の恐ろしい場所だけを見て判断してほしくありません。私は、ウクライナを守りながら、私たちを守りながら毎日亡くなっていく若い男女の命が、歴史に残ってほしいと思います。
私を含む、文学者たちは、絶望に囚われてしまってはいけません。時に、言葉は無力だと感じることもあります。私はその絶望に負けたくありません。自分の仕事を続けて、訴え続けていきたいと思っています」
