大迫を見た西山が自身をどう変えたのか?

2人とも10月のMGC出場資格を得ただけでなく、今年8月の世界陸上ブダペストの派遣設定記録(2時間07分39秒)を突破した。今後の選択肢が広がった。

だが世界陸上やオリンピックへのプランを質問された西山は、「ここまでの結果が出せるとは、あまり思っていなかったところがあった」と隠さずに話す。「MGCに出られたらいいな、とは思っていたんですけど、そこ(日の丸を背負って戦うこと)に関してはまだ具体的にイメージできていません」

ニューイヤー駅伝前の取材で西山は、初マラソンの目標を「2時間8分前後」と話したが、「そんな甘くないでしょう」と控えめなコメントもあった。「課題を見つけて、修正して、マラソンのスタイル見つけたい。28年のロサンゼルス五輪で勝負したい」と、時間がかかることも覚悟していた。

それに対して池田は、以前から世界で戦う意欲を話していた。1月の大阪ハーフマラソンで優勝した際にも、「大阪マラソンで2時間07分30秒を」と目標を設定。初マラソン日本最高と、世界陸上の派遣設定記録を明確に意識していた。

2人の世界への意識の違いはおそらく、チーム内の立ち位置とニューイヤー駅伝の戦績の違いから生じている。池田はKaoのエースで、今年のニューイヤー駅伝でも最長区間の4区で区間賞を取った。対する西山はぎりぎりで駅伝メンバー入りし、ニューイヤー駅伝は6区で区間19位と振るわなかった。マラソンでいきなり世界に、と西山は考えにくかったのだろう。

だが西山も学生時代から、世界で戦うことをしっかり考えていた。前回のMGCは沿道から、東洋大の先輩である服部勇馬(29、トヨタ自動車)や設楽悠太(31、Honda)の走りを見て刺激を受けた。大迫傑(31、ナイキ)の主宰する合宿にも参加し、昨年9月に英国のハーフマラソンに出場したときは、同じレースを走った大迫との違いで世界を目指す選手との違いを思い知らされた。

「自分はハーフマラソンのために調整して出場したのに、ニューヨークシティ・マラソンの調整中だった大迫さんに3分近く離されました。自分はコースのアップダウンに対応できなかったのに、大迫さんはしっかり対応されていた。選手としての危機感が芽生えましたね。走り方、フィジカル面、そのためのトレーニングと、全てを変えようと思いました」

走り方は「お腹の下と、股関節周りを、後ろから押されるように」という意識に変えた。トレーニングの一例としては、週に1回行う会社近くの蔵王山を走る練習を、より積極的に行うようにした。ウエイトトレーニングも「ウエイトのためのウエイトでしたが、走りにつながるウエイト」を徹底した。

ここまで自身を変えられたのは、世界を意識しているからに他ならない。
「日本代表になりたい、それもマラソンで日本代表になって世界と勝負をしたい。その思いはずっとありました。しかしまだ日本の中でも、自分より上を行く選手はたくさんいます。まずは国内で安定した成績を出しつつ、世界と勝負できるように、海外のレースも経験していきたい」

レース直後の会見で「(世界で戦う具体的な)イメージができていない」と話したが、それはレース前に考えていたことだ。大阪マラソンで結果を出し、世界で戦うために何をすればいいか、西山のイメージが一気にふくらんでいくはずだ。

(TEXT by 寺田辰朗 /フリーライター)
※写真は左が西山選手、右が池田選手