【大澤昭一さん】「時は流れました。当時の現状を再調査して頂ければ、弟・孝司が北朝鮮に拉致されたということは分かります」

北朝鮮に拉致された可能性を排除できない「特定失踪者」大澤孝司さんの兄・昭一さんは、こう訴え続けています。

1974年2月24日に、当時27歳の大澤孝司さんが新潟県佐渡市で行方不明になってから49年が経ち、孝司さんのふるさと新潟市西蒲区で開かれた集会で、兄の昭一さんや職場の同僚らが、半世紀近い長い月日を振り返りました。
集会には同級生も参加し、孝司さんの思い出を語りました。
【小中学校の同級生】「孝司さんは坊ちゃん刈りをしていまして、その当時から非常に目立つ、まじめな同級生だったことを覚えています」

【小中高校の同級生】「彼は写真が得意で、趣味となるとものすごく一生懸命になる…」

【職場も一緒だった大学の同級生】「当時は“拉致”という言葉がありませんので、なんでいなくなったのか本当に不思議でしょうがありませんでした」

孝司さんの11歳年上の兄・昭一さんは87歳になりました。
拉致にも認定されず、ただ行方が分からないまま過ぎた49年という長い月日を振り返り、政府への憤りを露わにしました。

【大澤昭一さん】「北朝鮮は残酷な国だと言えます。しかし日本も、私たちの情報が分かっていながら49年間もこのままほったらかして、拉致とかそういう発表に至っていません。これこそ北朝鮮に負けぬ残虐な行為ではないかと」

【参加者】「兄さんの顔を見ると我慢できないというか涙が出る。自分の子どもだったらとても我慢できないな、ここまで頑張ってこれるかな、って思いました」

兄・昭一さんは、孝司さんを含めた特定失踪者のほか、全ての拉致被害者の救出を望むとともに、若い世代に拉致問題をどう伝えるかが課題だとしています。