約40年たった今も変わらない思い「父の無念だけでも晴らしたい」

事件から約40年。亡くなった女性が経営していた酒店は今も残っています。
(記者リポート)
「現在はご覧のように資材置き場として使われているようなのですが、常連客だった阪原さんはこの辺りに腰かけて酒を楽しんでいたということです」

ワインのポスターなど今なお当時の雰囲気は残ったままです。

40年近くの歳月がたっても、長男・弘次さんの思いもなに一つ変わることはありません。阪原さんが亡くなった後に自宅に届いたという段ボール箱。刑務所で阪原さんが使っていた日用品などです。


中には支援者らからの手紙や色紙のほかに、『188』という番号が書かれたタオルがありました。
(阪原弘次さん)
「父は刑務所の中にいるときは、おそらく『阪原弘』ではなく『番号』で呼ばれていた。それがこの中に詰まっているんですよね。父の無念が詰まっているわけですよ。ちょっとつらくて見られないかな。(服役期間の)24年ってかなり長い期間ですよね。その間に父が使っていた物が段ボール箱1箱、ミカン箱2つ分だけって、あまりにも悲しいじゃないですか。せめて父の無念だけでも晴らしたい。名誉だけでも回復したい」