1984年に滋賀県日野町で起きた強盗殺人事件「日野町事件」。犯人とされた男性は、無罪を訴えながらも無期懲役を言い渡されて服役し、獄中で病死しました。この男性の遺族が今、再審(裁判のやり直し)を求めています。今年2月27日に大阪高裁が再審を開始するかどうか判断を下しますが、事件から39年がたった今、事件に関する新たな見解が示されました。

無期懲役を言い渡された父…無罪主張して再審求めていた中で病死

 笑顔で孫を抱きかかえる男性の写真。阪原弘さんです。阪原さんは、今から12年前、無念の死を遂げました。

 (阪原弘さんの長男 阪原弘次さん(61))
 「父は死ぬべきではなかったと思います。今でも生きているべきやったと思います」

 事件が起きたのは1984年の年末。滋賀県日野町で酒店を経営していた女性が殺害され、店にあった手提げ金庫が奪われました。女性の遺体は宅地造成地で、手提げ金庫は山林で見つかり、警察は強盗殺人事件として捜査を始めました。

 事件が動いたのは発生から3年以上たってから。警察は常連客だった阪原弘さんを強盗殺人容疑で逮捕。

 決め手となったのは阪原さんの“自白”でした。しかし、この自白は取り調べでの暴言や暴力の末になされたものだったといいます。

 (阪原弘さんの長男 阪原弘次さん)
 「『鉛筆を束ねたもので頭は小突かれるわ、頬は叩かれるわ、パイプ椅子を蹴飛ばされて父ちゃん床に尻もちついたこと何べんもあるんやで』『警察ってそんなもんや』って(父は)言っていました。『娘の嫁ぎ先に行って家の中ガタガタにしてきたろか、そう言われた時は父ちゃんもう我慢できんかったんや』、その時は泣きながら私に訴えていました」

 裁判では「虚偽の自白をさせられた」として一貫して無罪を主張しましたが、2000年、阪原さんの無期懲役の判決が確定します。

 (阪原弘さん 2000年)
 「私は悔しくてなりません」

 その後、阪原さんは再審(裁判のやり直し)を求めましたが、大津地裁が退け、大阪高裁で争っている最中の2011年に75歳で病死。再審の手続きは打ち切られました。