誰が設置したのか「謎」こけし頭はどうなるのか?
大崎市鳴子総合支所によりますと、こけしの頭部はいつ、だれが設置したのかは不明ですが、旧鳴子町時代の1977年の広報誌に掲載されていた写真では、電話ボックスにこけしの姿はありませんでした。
しかし、1984年にはこけしの頭が確認でき、昭和50年代に誰かが載せたとみられます。

こけし工人 岡崎靖男さん:
「寂しい。(こけしも)まだここにいたいよと言っていると思う」
大崎市地域おこし協力隊 田邉香さん:
「今後も鳴子の観光スポットになるような何かしらで残ったらいい。となりにある赤いポストも相棒を失うと寂しいのではないかと思う」

昭和の旧鳴子町時代から永きに渡って親しまれてきたこけし型の電話ボックス。電話ボックスは3月中に撤去されることになっていますが、こけしの頭の部分は市が引き取り、地元の観光協会などと活用策について検討することにしています。
