■「女房も弟も死んだ。今度はわしか…。描けるだけ早く描こう」
資料館では2020年度に寄贈された100点が展示されています。そのどれもが、あの日の悲惨さや被爆者、遺族の苦しみを伝えています。その中でも、尾崎さんが寄贈した絵の多さに目が留まります。

原爆資料館の収蔵庫に広げられた原爆の絵。尾崎さんが2020年度に寄贈した原爆の絵は32枚に上ります。10年以上にわたり、尾崎さん絵を見続けてきた学芸員の高橋佳代さんは「この10年と同じ枚数分をこの1年間で寄贈してくださいました」と話します。

尾崎さん自身の被爆体験や、原爆で命を奪われた同級生、戦前の街並み…。尾崎さんは何かにとりつかれたかのように描き続けたといいます。
尾崎稔さん
「やっぱりね、80代最後のときに女房が死んだ。明くる年に弟が死んだ。焦るわいの。今度は、わしじゃと。よし、描けるだけ早く描こう」
頭の中に残る当時の記憶を出来る限り残そうと画用紙に向かいました。

尾崎稔さん
「ようけ描いた。1番描いた。その代わり雑になった」
1月、90歳を迎えました。この数年で描けるだけ描いたため、今は、気持ちに余裕を持って筆を握ることができるといいます。尾崎さんは「描いている絵もきれいになった。90歳になった今が1番上手い。それと、これだけ描けばうまくなるよ」と笑います。
