山崎真優子さん
「(防災って)最終的に個人の頑張りで決まっちゃうじゃないですか。そこを出来るだけ買って頑張らなくてもできる何かないのかな…」

生活用品大手=アイリスオーヤマで働く山崎真優子さん(26)。

社内で打合せする山崎さん


防災グッズの開発や販促を担当しています。
これまで20種類近くの商品の開発に携わりました。

山崎真優子さん
「『今のままじゃダメなのでもっとこういう商品を作りたいです』とか『もっとリュックがおしゃれで普段置いていても違和感のないような防災セットをを作りたいです』という風に、色々商品を自分から発案できたかな」

山崎さんが強い思いで防災グッズの開発に取り組む背景には、東日本大震災での経験があります。

仙台市泉区の七北田小学校の体育館。

11年前、この場所に避難しました。
当時、中学3年生。あの日は山崎さんにとって2つの意味で特別な日になるはずでした。

震災当時、避難した七北田小の体育館


山崎真優子さん
「3月11日は私の誕生日で。地震のあった2011年の3月11日は、中学校の卒業式の日でもあったので、卒業式が終わって、地震が起こるまでの間は『誕生日で卒業式なんて世界一ハッピーなんじゃないか』っていう気持ちだった」

卒業式の後、市内で家族と誕生日プレゼントを買いに出かけていた時、大きな揺れに襲われました。
自宅も家具が転倒するなどの被害を受け、家族4人で身を寄せたのが体育館でした。

山崎真優子さん
「たぶんここら辺の場所に、自分たちのレジャーシートと家から持ってきた毛布を敷いて、4人座って荷物を置いていっぱいくらいのスペースだったかな。その時は防災の供えなんてそんなにしていなかったので、本当に着の身着のままで家に合ったものをちょっと持ってくるみたいな感じで・・・。自分がその時した思いをもう一回は絶対にしたくないですし、周りの人にも同じような気持ちになってほしくないなっていう思いはずっとあったので」

あの日の思いを胸に入社後、数ある職種のなかから志望したのが「防災グッズ」の開発でした。

こちらが山崎さんが開発した防災セット。内容や量にこだわりました。
特に力を入れたのがラジオです。
避難した時の経験が生かされています。

山崎さんが開発を手掛けたラジオ


山崎真優子さん
「避難した時もすごく小さい手回しのラジオライトがあって、それをずっと回していたんですけど、まる1日ずっと回し続けても携帯を一瞬しか充電ができなくて、確実に充電ができる、確実にラジオの情報が取れるので、これだけは絶対に入れたいという気持ちで入れました」

去年には防災士や災害備蓄管理士の資格も取得し、知識を生かした商品も開発しました。

防災士などの資格もいかし開発に情熱を注ぐ


山崎真優子さん
「これもどうしても作りたくて!口が広いので1回使ったあとも洗いやすいし、口が広ければ実際に自衛隊の給水車の水を入れる口って大きいんですよ。こっち側の口だと小っちゃくてすごくこぼれるんですね。こっちだったら確実に水を効率よく入れられます」

「あの時、避難所にあったなら」。この思いが山崎さんの原動力です。

開発を続ける中で自身の考えにも変化があったと言います。

「備え」の大切さを発信し続けたいと語る山崎さん


山崎真優子さん
「自分自身が防災用品を企画して作ることで、被災した時の自分に対しても…その時の自分を励ますじゃないですけど。その時の自分に大丈夫だよって思えるようになったかなって思います」

防災グッズの選択肢を増やすことで備えの大切さをより多くの人に発信し続けます。

山崎真優子さん
「自分にあった防災というのを、できるだけ多くの人に知ってもらいたいと思っています。その時に選んでもらえるような、よりよい防災セットや防災用品を企画することはもちろんですし、より多くの人に防災用品の啓蒙活動を行っていきたい」