「俺たちと一緒に歩く覚悟はあるのか」と問われ引き受けた
――なぜ「黒い火花」の公の顔、広報役になることを受け入れたのですか。

自分の姿を一つの例として示したかったからです。2022年、ウクライナ軍の領土防衛隊に入った私の友人、70歳の記者セルゲイ・ロイコを見た時、「なぜ50歳の自分がモスクワで満腹そうな顔をして座っているのか」と自問しました。それが私の原動力でした。ロシア人に立ち上がれと呼びかけてきた私に、彼らから「『ロシア人よ立ち上がれ』と言ってきたんだろう。じゃあ今、俺たちと一緒に歩く覚悟はあるのか」と言われました。そう言われて引き受けない選択肢はありませんでした。彼らを誇りに思います。いつか名前が明らかになった時、彼らには記念碑が建つでしょう。
――元「ガスプロムバンク」幹部としての経歴も、注目を集める効果を持っていますか。
そうであってほしいですが、重要なのは私に対する信頼でしょう。暖かい国へ移住して「プロの口先だけの人間」として喋ることもできましたが、私はウクライナへ戻り、軍で戦い、前線で負傷もしました。2023年4月にバフムト近郊で負傷した際、私と位置を交代してかばってくれた20歳のベラルーシ人の若者が亡くなりました。
そうした行動と積み上げた評判が、信頼につながっているのだと思います。「ガスプロム」(ロシア国営天然ガス大手)には16年半勤め、広報責任者などを務めました。その後、体制に不忠実だと知られて「ガスプロムバンク」へ左遷されましたが、2022年3月にウクライナ軍に入りました。














