被爆81年を迎えた長崎で、結成70年の節目を迎えた「長崎原爆被災者協議会(長崎被災協)」が、これまでの被爆者運動の歩みを伝える展示を始めました。
会場に並ぶのは、被爆者が生活を支え、権利を求め、核兵器廃絶を訴えてきた歴史を物語る約150点の品々です。

なぜ今、展示を始めたのか。長崎被災協の横山照子副会長に、展示に込めた思いと、被爆者の高齢化が進む中での活動のこれからについて聞きました。
約150点の展示 被爆者が歩んできた70年

展示が設けられたのは、長崎市岡町にある長崎被災協の地下講堂です。ここでは、修学旅行生らが被爆体験講話を聞いていて、若い世代が被爆者の歩みを知る場にもなっています。

展示されているのは約150点。原爆投下直後の被爆者の置かれた状況から、その後の「10年の空白の時代」、そして被爆者運動が少しずつ広がっていった歴史、さらに核兵器禁止条約の採択や、日本被団協のノーベル平和賞受賞まで、被爆者運動の歩みをたどる構成になっています。
横山副会長は、展示を始めた理由について、「今まで活動してきた人たちが亡くなっていってしまって、あるいはホームに入って、もう動けないというようなことで、被爆者運動を知っている人が本当に少なくなっていってしまった」と説明します。
そのうえで、「被爆者が歩んできた道を若い人にも分かってもらおう」という思いから展示を始めたと話します。

すでに活水高校の生徒たちも見学に訪れています。横山副会長によると、生徒たちは展示を見た上で、さまざまな意見を伝えてくれているということです。
「被爆者の店」生活を支えた活動

展示品の中には、今回新たに寄贈されたものもあります。その一つが、被爆者で、核兵器廃絶を訴えて活動した渡辺千恵子さんが編んだベストです。

渡辺さんは車いすで活動を続けた被爆者で、編み物は原爆障害者の生活を支える糧にもなっていました。また、被爆詩人として知られる福田須磨子さんが作った「銀杏人形」も展示されています。
福田さんは銀杏を拾うところから始め、実をきれいにして人形を作り、被爆者の店で販売していたといいます。

横山副会長は、「お金をかけずに、こういうものを作ろうと。そして、それをお土産品として売ろうと、被爆者の店で売ろうということで作られた」と説明。
銀杏を集め、洗い、人形を作るまで、近所の人たちも一緒になって取り組んでいたといいます。

さらに、1973年に厚生省前で行った5日間の座り込みで使われたランプも展示されています。国家補償による被爆者援護法の制定を求めて行われた座り込みの際、夜を照らし続けたランプです。一つ一つの展示品が、被爆者が置かれていた厳しい状況と、そこから立ち上がり、生活を切り開いてきた歴史を伝えています。
長崎被災協は「被爆者が支え合う場所」
長崎被災協は、核兵器廃絶を訴える運動だけでなく、被爆者自身の生活を支える役割も担ってきました。

横山副会長は、日本被団協が設立時に掲げた「自らを救い、人類の危機を救う」という考え方について、「自分たちのやっぱり病気になったり、生活がなかなか困難だというので、それを自分たちで協力してやりましょう」という意味があったと説明します。
長崎被災協では、就職が難しい被爆者に仕事を提供するため「被爆者の店」を作り、そこで働いてもらう取り組みを行っていました。

また、マリア人形や銀杏人形など、被爆者が作ったものを店で販売していました。横山副会長自身も長く相談員を務めてきました。被爆者からさまざまな悩みを聞き、互いに語り合い、支え合う。
横山副会長は長崎被災協について、「本当に寄り集まって、そしてみんなで支え合ってやってきた」と振り返ります。
被爆者にとって、長崎被災協は運動の拠点であると同時に、生活や悩みを相談できる「よりどころ」でもありました。
被爆者の減少全国組織も「今後のあり方」を議論
一方で、被爆者運動は大きな転換点を迎えています。かつて40万人を超えていた被爆者は、現在では10万人を下回るまで減少。高齢化も進み、外に出て活動することが難しい被爆者も増えています。

全国組織の日本被団協では、今年6月に東京で定期総会が開かれ、今後の団体のあり方について議論されました。
議論されたのは、被爆2世・3世を中心に活動を引き継いで団体を存続させるのか、それとも被爆者の活動実態がなくなった時点で解散とするのかという問題です。
総会では、1年後をめどに結論を出すことが決まりました。横山副会長は、かつては北海道から沖縄まで各地に被爆者の会があり、国会請願などに多くの被爆者が集まっていたと振り返ります。しかし今では、各県の被爆者の会の人数が一桁にまで減っているところもあるといいます。

「この前まではね、30何名はいたのに、今もう一桁になったよというふうなね」
被爆者の高齢化と減少は、全国的な課題となっています。
「被爆者だけではなく」次の世代とともに

こうした中、長崎被災協も活動の転換期を迎えています。横山副会長は、これからは被爆者だけでなく、被爆2世・3世や高校生など若い世代、さらに被爆者ではない支援者にも活動に加わってもらうことが重要だと話します。

「被爆者だけではなくて、2・3世に手伝ってもらい、あるいは若者にね、高校生やいろんな人たちに入ってもらって、いろんな行事をやる」
そして、支援者から知恵をもらいながら活動していく現在の状況を、「今、そういう過渡期であると思います」と表現しました。
被爆者が少なくなっていく中で、これまでの活動をどう次の世代につないでいくのか。
今回の展示は、その問いに向き合う取り組みの一つです。

横山副会長は、展示を見た活水高校の生徒たちがさまざまな意見を寄せてくれていることを紹介し、「いろんな意見を言っていってくださる」と話しました。
被爆者が歩んできた70年。その歴史を物として残し、若い世代に見てもらうことで、被爆者運動の記憶を次の世代へつないでいく――。長崎被災協の展示には、そうした思いが込められています。














