「雨や灰をかぶった」証言と記録 広島との違いは

広島では、新たな基準により被爆地域の外で「黒い雨」を浴びた7,500人あまりが被爆者と認定されました。一方、長崎は「雨が降った客観的な証拠がない」として対象外とされています。
しかし、長崎にも当時、雨や灰を浴びたとする証言や記録が残されています。

1987年に被爆者団体が被爆未指定地域で行った聞き取り調査では、多くの住民が「死の灰をかぶった」「黒い雨を浴びた」と回答していました。


さらに、当時の死因調査では「がん」による死亡率が19.4%~35.6%に達し、全国平均(約25%)を大きく上回る地区があったことも記録されています。

地域で開業する本田孝也医師は、「当時はまだがんが死因の1位ではなかった時代。その中でも高い割合を示していることは、放射能の影響を示す資料と言えるのではないか」との見方を示します。

一方で、被爆体験者の渡辺一則さん(当時6歳)は「(当時は)がんが多くても『遺伝ばい』と言われ、『原爆ばい』とは言えない空気があった。差別や偏見が厳しい時代だった」と当時の状況を振り返ります。

また、旧戸石村で被爆した上戸健一郎さん(当時7歳)は、空からボタ雪のような灰が降り注いだ様子を手描きの絵で示しながら「友人と腎臓病になり、友人は25歳の時に亡くなった」と証言。

同じく中田昭義さん(当時6歳)も「母は大腸がん、兄は肺がん、弟は胃がんで亡くなった。ひょっとしたら放射線の影響ではないか」との思いを語りました。














