戦争を知る“最後の語り部”たちへ学生たちからの質問
2人は、いわば戦争を知る“最後の語り部”たち。貴重な機会に学生たちからは多くの質問が出ました。
「家に帰ったとき、一番、最初にしたいと思ったことは何ですか?」、「これからの世代に伝えていきたいことはありますか?」、「戦争が終わって社会に馴染むまでにどれくらいの時間がかかり、何に一番苦労しましたか?」…。その一つ一つに2人は丁寧に答えていきました。


“最後の語り部”たちから若者へのメッセージ
最後に2人から若者たちへ強く訴えかけるメッセージが。
西倉さん
「平和に勝る財産はありません。戦争だけは絶対に起こしてはならないし、それに巻き込まれても絶対にダメだということを重ねて申し上げます。健康で日本を背負ってください」
上野さん
「復員したとき、とにかく食べ物がありませんでした。配給はありましたが、3~4年たって初めて普通に食べられるようになりました。とにかく戦争をやれば工業・農業、全てが疲弊して国が立っていきません。とにかくどこであれ、戦争だけはやってもらいたくありません」
TBS DOCSの舞台「パイロット」のトークイベントの模様は、8月の『解放区』で放送予定です。
【登壇者のプロフィール】
<上野 辰熊(うえの たつくま)さん>
1928(昭和3)年3月、山口県生まれ。
1943(昭和18)年10月、陸軍少年飛行兵として大刀洗陸軍飛行学校に入校、基礎訓練。
1944(昭和19)年4月、正式に任官し、京城教育隊へ配属。「赤トンボ」による飛行訓練。
1944(昭和19)年8月、九九式襲撃機の搭乗員となり、訓練や特攻機輸送などに従事する。
1945(昭和20)年5月、鹿児島県の万世飛行場で沖縄航空作戦中の飛行第66戦隊に転属。沖縄戦が終結したため7月に福岡県の大刀洗北飛行場へ転属。本土防衛への出撃に備える。8月、終戦を迎える。終戦後、部隊は解散し、山口県の叔父の家で生活を送る。
<西倉 勝( にしくら まさる)さん>
1925( 大正14) 年5月、新潟県生まれ。
1945( 昭和20)年1月に入営、朝鮮半島北部とソ連との国境付近に配属される。
終戦後、ソ連軍により武装解除され、コムソモリスクで抑留生活を送る。抑留中、土木工事、製材工場、伐採作業、住宅建設、農作業等、様々な労働に従事。
1948( 昭和23) 年7月、ナホトカから京都府の舞鶴港に復員。














