白梅学徒隊として沖縄戦に動員された中山きくさんの告別式が17日に那覇市で営まれました。

1月12日に94歳で亡くなった元白梅学徒隊の中山きくさんの告別式が17日に那覇市で執り行われました。
中山きくさん「辰年うまれだからね立つの平気」
明るく気さくな人柄、穏やかな語り口の中山さん。
沖縄戦当時、まだ16歳だった中山さんは白梅学徒隊の1人として戦場に動員され負傷兵の手当などにあたりました。
『解散命令』が出されたあと突如戦場に投げ出された学徒たち、中山さんも
自決を試みるまで追い詰められました。22人もの仲間が命を落とした現実と辛く凄惨な戦場の記憶。

中山さん「私の足跡を辿っていくということは当時の地上戦に巻き込まれた沖縄の人の足を辿るということになるのです」
葛藤を乗り越え自身の経験を語れるようになるまで半世紀あまり。
語り部としての活動をはじめた中山さんは県内外で沖縄戦の実相と平和の大切さを訴えました。

中山さん「命どぅ宝です。平和が一番です。その平和を保つために武力を使わない。武力を伴わない平和が一番なんです」
語り継ぎを行うなかで中山さんが度々繰り返す言葉がありました。
中山さん「私のような戦争のある人生を歩んでほしくないということ」
沖縄戦の継承に力を尽くした中山さん。
そんな中山さんの訃報に告別式に参列した関係者はー
同級生 岸本瑞江さん(94)「寂しくなりました。みんなに語り継いで、自分の仕事として一生懸命なさっていたから。中山さんご苦労様と申し上げました」

若梅会代表 井上ちずさん「きくさんが本当に口癖のように言っていることが幾
つかあって、その中のひとつが『思っているだけでは平和は来ない、行動しなさい』といつも仰っていました。反すうしながら今後行動したいと思います」
沖縄尚学高校 神里春七さん「(中山きくさんに)自分たちが学んでいるからこそ、広げられると思うから、戦争の風化を止めるためにも、高校だけで終わりでなくてこれからの人生でもしっかりと語り継ぎたいと改めて思いました」
中山さんが訴え続けた平和への思いは次の世代に託されます。