“J1昇格”に捧げる1年です──

行くぞJ1! 全てをJ1レベルへ。

カリーレ監督は2シーズン目。新しいシーズンへ向けてチームは動き出しました。

DF 米田 隼也 新主将:
「ファン・サポーター、選手が一つとなって戦いたい。(そうして)戦えば、絶対に成し遂げられると僕は信じています」

頼もしい“この人”も5年ぶりに長崎に戻ってきました──

高木 琢也 取締役 兼C.R.O:
「長崎はサッカーの匂いがする街になったというフレーズを2018年の監督退任時に話しました。今では長崎はサッカーそしてバスケットボールが似合う街に──
そして夢と希望がある街に変わっていったなという変化も感じました」
高木さんおかえりなさい。また私たちを J 1に連れて行ってください!

今年1月1日付でV・ファーレンの取締役 兼 C.R.O(クラブ リレーションズ オフィサー)に就任しました高木琢也さんにスタジオで話を聞きます。
5年ぶりの長崎 NBC秘蔵写真に思わず…

岸 竜之介アナウンサー(以下 岸):
5年ぶりに『決起集会』という形でファンサポーターと15日触れ合いました。いかがでしたか?
高木 琢也 取締役 兼C.R.O(以下 高木 C.R.O):
私にとっては非常に貴重な時間でした。やはり5年ぶりに長崎のクラブに戻ってこれたということで『あ、こういう方がいらしたな』という方にも声をかけていただきましたし、声を頂いた方と(以前)こういうことがあったなと思い出すこともありました。懐かしく思いました。
豊﨑なつきアナウンサー(以下 豊):
本当に嬉しいですよね。夢のような感覚になっています。
岸:
また J 1に連れて行ってくれるものだと確信しております。
岸:
5年ぶりに戻って来ました高木琢也さんに見ていただきたいものがあります。
この写真です。

昭和59年度の全国高校サッカー選手権 決勝前の写真で、2年生の高木さんです。丸刈りです。小嶺先生の指導を受けていました。

高木 C.R.O:
さすが NBC さんですね(笑)。今では青と黄色の縦縞ですけれど、まだこのころは(青一色で)何もなくて、これ以降にユニフォームのデザインができたんですけれども、懐かしいですね。
岸:
2年生で10番を背負って。この時、島原商業に1対0で負けるんですけれども、その島原商業が全国制覇ということで、まさに“全国トップレベル”でした。
高木 C.R.O:
この時、小嶺先生に、負けた後すぐ言われたのは『お前ら逃した獲物は大きいぞ』と言われたんです。僕は3年生になった時はベスト4で負けちゃったので、あーそういうことなんだ。“チャンスがある時に掴まなきゃいけないんだな”っていうことをよく覚えてます。
岸:
高木琢也さんの経歴を振り返ります。
長崎県南島原市出身の55歳。国見高校では小嶺先生の指導を受けました。


こちらの映像は九州大会熊本・済々黌戦です。打点の高いヘディングで得点しました。覚えてますか?
高木 C.R.O:
覚えています。新人戦で、国見としては九州大会で初めて優勝した──
岸:
記念の大会だったわけですね。


その後、プロの道へ進みまして『アジアの大砲』と称されました。
引退後、サッカー解説者・指導者の道に──
2005年からV・ファーレン長崎の技術アドバイザーを務めた高木さんは2013年、J 2に昇格するタイミングで V・ファーレン長崎の監督に就任。

就任した年からプレーオフに絡むなど長崎を盛り上げました。
2017年にはJ1昇格。2018年にはJ1の舞台で戦い、退任されるまで監督として6年間チームを率いて下さいました。
退任の最後の試合はホームで清水戦です。特別な空間を皆で共有しました。
監督退任後も、大宮、相模原で監督業を続け、今年1月1日付でV・ファーレン長崎に戻ってきました。