突きつけられた「マイナス12%」の現実と、書けなくなったノート
代表選出から5か月。世界バレーを1か月後に控えた代表合宿で、当時の監督である眞鍋から「今日からゲームするね。自分の中で最高のパフォーマンスをしてアピールしてほしい」と告げられた。
しかし、ここから歯車が狂い始める。佐藤の放つスパイクは次々とシャットアウトされた。試合後、眞鍋から厳しい現実が突きつけられる。
「数字。嫌だとは思うけど試合に勝つためにはコレだからね。シャットアウト、ミス。1人が2本もミスしてたら勝てないよ、淑乃。自分だけじゃない。チームに迷惑がかかるよ」

突きつけられたのは、攻撃の貢献度を表す効果率の値だった。数値が高いほど大きく貢献したことになるが、佐藤はアタッカー陣で最低の「マイナス12%」。誰よりもミスが多いことを意味していた。自慢のスパイクが通用しない。それが現実だった。
自信が崩れ、涙を流す佐藤に、先輩の古賀紗理那は「いちいち泣かないの。期待されてるってそういうことだよ、泣くな、泣くな」と言葉をかけた。

同年9月の世界バレー。佐藤の役割はアタッカーではなく、リリーフサーバーだった。しかし、得意だったはずのサーブすら決まらず、アウトを連発。トップサーバーの成功率が10%前後とされる中、佐藤は5%にも満たなかった。
「自分の強みはサーブ。世界バレーでその強みを活かせなかった。サーブはメンタル。少しでも気持ちが弱くなったらサーブも弱くなると思うので、そこのメンタルを一定に保てるようにしたい。大きな舞台で自分のプレーをどう100%発揮するかというところは結構難しいなと思った」
初めての大舞台で、自信は失われた。日頃から心の拠り所だった“バレーノート”について、取材ディレクターから「世界バレーの時はなにか書いてる?」と問われると、「あの時は書いてなかった…ネーションズリーグの時は真面目に書いてたんですけど、世界バレーはしんどかったので…」と言葉を詰まらせた。文字にすることさえ、怖かった。

その後の2年間、佐藤が代表のコートに立つことはなかった。

















